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ニュージーランドでの日々を書いています。

住所不定無職がNZ首都で路頭に迷う話

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他のファームに旅立っていく人々を見送り続けて、5月。
例年ブルーベリーのシーズンは5月前半の連休あたりまでだと聞いていたので、我々はまたもや次の移動先を考えねばならなくなった。
さながらジプシーである。

長時間勤務ができること、そして田舎すぎてお金の使い道がないことから、働く必要がない程度に貯金はあった(貯金総額3桁だったときの自分に教えてあげたい)。しかし6月にまた政府がビザを延長してくるかどうかが見えない以上、お金は労働できるビザがあるうちに貯めておこうという話になり、ブルーベリーファームの友人たちから色々話を聞いて候補を絞って、次はマンダリン(日本でいうミカンだ)収穫に行こうということになった。

友人によると、マンダリンファームは以前我々が住んでいたシティに比較的近い場所だという。
シティに戻るならその前に一度首都・ウェリントンに行ってみたいとの恋人の希望により、我々はまずここからウェリントンへ移動し、しばし観光してから長距離バスでシティに戻り、そこからさらにマンダリンファームへ移動することになった。
友人たちは一足先に車でマンダリンファームに行くので、現地で合流しようね!また数週間後!と友人たちを見送り、連休前に最後のブルーベリーを摘んだ後、ウェリントンへと移動した。


移動の前日、友人に教えてもらったマンダリンファームの人とテキストのやりとりをしていると、「じゃあボスに働けるかどうか聞いてみるわ」との返信が来て、
いやじゃああなた誰⁈(2回目)となった。
「多分働けるとは思うけどね」とのことで、もうちょっと既に嫌な予感しかしない。
(正式なビジネスメールならともかく、こちらの人のテキストメッセージは「Hi,I'm ○○.」で始まって2行目からもう要件に入ることも多いので、なんか番号載ってたし責任者っぽいと思って話を進めてると別に責任者じゃなかったことはまあまあある。そしてそれを2回経験している私は単純に学習能力がないのかもしれない)
いやでもまあどっちにしろ出発はもう明日だし!どうにかなるよね、ハム太郎
という勢いでその日は寝た。


翌日高速バスに揺られてウェリントンに到着。
お腹が減った‼︎と騒ぎながら荷物をホテルに置いて再度飛び出し、ひとまずカフェに入る。
とりあえず空っぽだった胃に物が入った満足感で満たされていたその最中、ファームスタッフからの「人はこれ以上要らないってさ!残念!」的な通知を受け取った。
そしてウェリントンに到着して30分くらいで我々のテンションは地に落ちた。
もうすっかり引っ越して仕事始める気満々だったのに、突然の住所不定無職行先不明アラサー2名爆誕である。カフェオレを持つ手が震えた。お洒落なカフェでオレっとる場合じゃねぇ。
「つまりシティに戻ったところで仕事はないということ?」
「そうかもしれないしそうじゃないかもしれない」
「というと?」
「この季節だし他の仕事ならあるかもしれない。ただ、どんな内容かは分からない」
「………」

そして我々の脳裏をよぎる、ストロベリーファームと腰痛。

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「よし、帰るか」
数秒の沈黙ののち、恋人はスンとした顔で私に宣言した。


シーズン終わりとはいえ、ブルーベリー自体はおそらくもう少し収穫できること、繁忙期が終わって我々が出て来た時点で宿もガラ空きだったことを思い返し、仕事も宿も未定の所にいくよりマシだろうということで、会議10分の後、我々はまたブルーベリーファームに戻ることを決め、重い足取りでカフェを出た。
いやこんな旅行の始まり方ある?
到着30分で旅行後の予定全部狂ったが??
ほぼ全ての引越し荷物を持って三泊四日旅行しにきたバカ2匹と化したが????

しかしもう旅行後がどうなろうが、
旅行中である今、ウェリントン観光が丸々3日間あることに変わりはない。
部屋の隅に押し込んだ引越し荷物たちを極力見ないようにしながら、
我々は精一杯首都観光を楽しんだ。

ちなみにウェリントンは死ぬほど風が強かった。
フォトスポットの1つに「wellingtonのロゴが途中から風で吹っ飛んでいる看板」があるので普段から風が強い場所なのだろうとは思うが、我々がその看板を見に行った2日目がちょうど曇天&強風でおまけに途中から雨も降ってきて、疲労が一周回って爆笑しながら全身びしょ濡れかつ強風の中フォトスポットを撮影した。ちょっと頭のおかしな観光客である。

 

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とはいえ日頃あまり運のよろしくない我々の旅行がよい天気に恵まれないのは想定範囲内だったので、予め組んでいた雨用プランに従って、そのあとは美術館を中心に濡れずに過ごし、雨が止んだら買い物も楽しめた。ちなみに私がウェリントンで購入した中で一番高額だったのはジョジョ3部の英字版コミックス、一番安かったものはダイソーのもこもこ靴下である。どっちも日本で買えるわ。


そして。

満を持して4日後、ブルーベリーファームに戻った。

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もう出て行くと告げていた仕事仲間たちは当然大量の荷物と共に真顔で帰還した私たちに驚愕し、何人かに代わる代わる「What happened?」と聞かれたが、もはやそれはこっちのセリフである。
What がhappenedして我々は此処にcome backしたのかもうI don't knowなのである。
仕事仲間からの質問を曖昧な微笑みで受け流しながら、我々は大量の荷物を引き連れ、元いた部屋へと出戻ったのであった。

 

 

腰痛女がブルーベリーファームにジョブチェンジする話

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いちごファームを後にしてシティに一泊し、恋人と合流してそこからさらにバスに揺られて8時間。恋人のSSEビザが下りるのを待ってからファーム内の宿に移動し、12月からブルーベリーファームの勤務を開始した。
いちごと違って簡単な体験すら経験がないので元より期待も幻想もゼロだったのだが、

超☆楽!!!


種類にもよるが大体の木は自分の身長より高いので、たまに踏み台に乗ったりしつつ、腕を伸ばしてそれらをプチプチと採って首に下げている容器に入れ、それがいっぱいになったら大きいケースに入れていくだけ。
コツを掴むとまあまあ早く採れるようになるし、日によっては○kg取れたら○ドル追加!といったボーナスデーもある。
なにより腰が楽である。それ以上望むものがあろうか。

そしてここのファームは出退勤が自由で、その日仕事に行くか行かないかは本人次第。稼ぎたい人は長時間入ってたくさん収穫してボーナスをもらえるし、自分の時間を優先したい人は自分が必要な分だけお金を稼いで帰るという、非常に自由な職場だった。
なにこのシステム日本にも欲しいな???
でもこれ確実に人をダメにするシステムだな???
日に日に自主休みが多くなっていく仕事仲間たちを見ながら、私もいつまで保つやら…と己の自制心を憂いていたのだが、気づけば結局ほとんど休むことなく黙々とブルーベリーを摘み続けた。多分ストロベリーファームからの差がすごかったせいだと思う。筋力皆無もやし女でも楽々続けられた。
そして気づけば年が明けていた。
なんてこった。2019年にニュージーランドに来てもう2021年である。
予想外にも程がある。3ヶ月で帰るかもとか抜かしてたのどこの誰だ。
2019年の私に教えてあげたい、お前2021年の年明けはNZでブルーベリー摘んでるぞと。

私も初めて知ったのだが、ブルーベリーは12〜1月上旬ごろは盛んに実り、1月中旬〜2月上旬に謎のトーンダウンをしたあと、2月中旬〜くらいからまた沢山の実をつけ出す。
この一旦のトーンダウンなに???
ここまで実が少なくなってまた盛りかえすなんてことある???
と寂しい木々を眺めながらやや不信気味だった1月下旬の我々であったが、そんなの杞憂とばかりに2月途中からブルーベリーは平然と復活し、モリモリ実をつけた。
そして2月になると、イチゴファームで一緒に働いていた日本人たちが数日違いでブルーベリーファームに来て、結局全員と再会した。
展開は少年誌だが場所がファームなので皆「おう…お前もか…」的テンションで終わる。ワンピースとかなら相当アツい展開だが、現実はだいぶドライだった。


2月・3月は収穫量も多くなるためボーナスをもらえるkgの基準も上がる。
ブルーベリーは長いレーンの両端・真ん中にそれぞれ人を配置し、手前の人は奥に向かって、真ん中・奥に配置された人は入り口に向かって収穫していくため
手前の人と真ん中の人はいつかどこかで出会うことになるのだが、どちらかが素早く進み過ぎるとどちらかがほとんど採れないまま終了となってしまう。
多くのkgを採るためにはもちろん広い範囲の木から実を集められたほうが大量収穫の可能性が高まるので、ボーナスデーは皆がブルーベリーの木を巡ってバチバチと静かな火花を散らすことになる。
だいたい皆、端から摘んで行って近づいてきて、ある瞬間からスピードを上げてくる。目があったらバトルをしかけてくるポケモントレーナーかよ。

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多くは無言で収穫スピードを上げながら隣人に圧をかけ、圧をかけられた方は内心舌打ちしながら自分もスピードを上げて牽制する程度なのだが、たまに全然静かじゃなく普通に口論や小競り合いになっている人たちもいて、ライアーゲーム並みに人間の本性炙り出してくるやんけ…と真顔になってしまった。
人は金で簡単に狂う、それが大して大金でなくとも。ボーナスデーこわい。
ちなみにこの時私の恋人はボーナスにもブルーベリーにも全く興味がなく、ボーナスデーにはベリー収穫中に見つけた鳥の巣を「amazing」などと言いながら嬉しそうに観察していた。ブルーベリー数グラムを巡って喧嘩されるよりは良い気がするが、普通に仕事はちゃんとしてほしい。

ファームについている宿についても、最初は10数人ほどだったメンバーが、繁忙期のこの時期は100人ほどになっていた。
キッチンも洗濯も共有ルームも、空きを見つけるのに一苦労である。
おまけに「No music No life!!」を地でいくラテン人グループも越してきて、公共の場で爆音ミュージックをかけキッチンで踊りだすため、静かに過ごしたい派のヨーロピアンやアジア人から終始遠巻きに冷たい視線が注がれており、異文化交流って難しいなァと遠い目をしながら耳を塞ぐ日々が続いた。悪意がないのはわかっているし音楽と共に生きていたい気持ちも分かるが、キッチンで踊り出すのは普通に危ないのでやめてほしい。
ちなみにこの時、ラテン人である私の恋人は他のラテン人を誰より冷たい目で見ていた。巨人を見るリヴァイ兵長と同じくらい冷めきった目をして、「これだからラテン人は」とキッチンから出るたびに舌打ちをしていた。いやお前もラテン人だろ。

ただ、人が最も多かったのは2〜3月中旬くらいまでの1ヶ月ほど。
3月からは多くのファームでキウイ収穫がスタートし、そちらのほうが給料も良いため、多くの人はそちらに移動していった。
が、キウイ収穫はかなりの体力仕事である。話を聞くだけでもう、もやし女には無理そうな気配がすごかった。
というわけで、給料より己の腰!と結論づけた我々は3月を過ぎてもブルーベリーファームから微動だにしなかった。音楽マン民族大移動により再び静寂を取り戻した宿で、たまに遊びに来る黒猫を撫でたりしながら我々は比較的平和に過ごした。
「お金は大事、だけど体はもっと大事」
額から流れる汗が鼻の穴に入ってフガフガしながらイチゴを採った暑い日、全身濡れ鼠状態のまま沼に嵌って足が抜けずジタバタしながらイチゴを採った雨の日、私たちはその教えを骨身に刻みこんだのである。
イチゴファームで得られた教訓は大きい。…二度と同じことはしたくないが。


そしてブルーベリーを摘みながら、黒猫を撫でながら、平和に過ぎ去った4月の後。
我々はまたもやビザにふり回されることになる。

 

 

体力平均以下の女がファームジョブをしたら腰が死んだ話

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初夏のニュージーランドで、いちごファームで働く。
なんと爽やかかつ甘酸っぱい響きだろうか。
最初はそう思っていた。

ファーム仕事は初めてだし、それに近い経験なんて日光でいちご狩りした記憶くらいしかない。体力もあまりあるほうではないが、まあ少なくともいちごなら筋力はあまりいらないだろうし、慣れれば楽しくなってくるかもしれない。
いちご味見とかできるのかなあ。ニュージーランドだし小動物とかも見かけたりするかなあ。
最初はそう思っていた。

そして初日の1時間でその甘すぎる目論みは崩れ去った。
到着早々荷物を置き、長靴をダフダフさせながら畑に直行したのだが、
地面に生えているものを採るため、立ったまま腰を折り曲げた状態をキープ。
1レーン上をできるだけ素早く移動し、左右両側のいちごを採り続ける。

これを1日平均6時間ほど続ける。

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筋力がどうとかじゃなくてもう腰が死にそうに痛い。
そして背中に当たる直射日光と長靴により上下に暑い。どこにも逃れられない。
いちご味見できるかなぁとかもはやそんなんどうだっていい。小動物が出てきたところでテンションが上がる余裕もない。腰が痛くて足が止まれば後ろからスタッフにHurry up!と怒られる。最初の頃は律儀に毎回「Sorry」などと言っていたが、2週間経つ頃には「Ok」とだけ返し、黙々とイチゴを摘んだ。サボりたくてサボっているわけじゃなくてスピードを上げようにも上がらんのだから仕方がない。クビにしたきゃクビにしてくれ、少なくとも腰には良い。
いやいっそ今すぐクビになってもう一刻も早く帰りたい。そしてベッドに静かに横たわって安静にしていたい。吉良吉影は静かに暮らしたい。ただもし私が同僚で、吉良がいちごファームで働こうとしていたら全力で「やめとけ、やめとけ」と止めるだろう。

大粒の雨が降っていてもそこにイチゴがある限り早朝から出勤なのだが、木陰も何もない畑にカッパ装備のみで降り立ち、足元の泥に足を取られ、痛む背中を丸めつつ濡れて重く冷たくなったグローブを震わせながらイチゴを採る。晴れの日は背中と足元が暑くてしんどいが、雨の日は足元が泥沼化して長靴がはまって動けなくなるのでさらにしんどい。
イチゴ畑の中で足が抜けずに固まる私はまるでバグっているゲームキャラだ。絵面的には面白いのだが、ただでさえ足を動かすたび腰に痛みが響く状態で、足を動かしても体が前に進まないというのはまあまあ地獄である。早く仕事を終わらせて腰を労りたいという気力のみで足を動かしているのに、腰の痛みだけ留まって前に進まないって一体どういうことなんだ。しかも本人は必死なのに周りから見たらただ棒立ちして休んでいるように見えるので仕事中の体裁としても最悪である。
農家の人って本当にすごい。皆もっと平伏しながら農作物を食べるべきでは、と髪の毛から滴った水が容赦無く鼻の穴に入るのを拭いながら思った。


仕事時間はフルーツの種類やファームによって異なるが、私たちがいた場所では毎朝6時から仕事が始まり、だいたい12時〜2時くらいに仕事が終わるのが常だった。朝早いのはしんどいが、仕事が終わった後に自由時間がたっぷりあるのはいい所である。仕事終わりに仲間たちと這いながら宿に帰り、昼寝をして蘇生してからバスに乗り、カフェに出かけてもまだ外が明るいくらいの余裕がある。間に昼寝を挟んでいるので、1日の中にdead day と alive dayが2日あるような感覚だった。前半パートが嫌すぎる。
ファームについている宿には他に数人の日本人、アジア人、白人がいて、人種は違えども皆いい人で、そして皆一様に腰を痛めていた。多国籍かわいそう集団か。
ちなみに私がいたところでは、宿に泊まっている者は基本週6日出勤、外から来ている人は日によって来ていたり来ていなかったりした。外から来ている人の中には(たまたまだったのか恒例なのか分からないが)出会い目的の人もちらほらいて、日本人女性が一人でいるとかなりの確率で声をかけられる。私の友人は隣のレーンの人に「そこイチゴ採り忘れてるよ」と言われて見たら葉っぱの間に名刺が置いてあり、隣人の顔をもう一度見たらバッチリウインクされたらしい。これは顔がタイプだったらときめきシチュエーションなのでは、と一瞬考えて脳内で私も試してみたが、葉っぱの間に刺さる名刺がおもしろシュール画像すぎて無理だった。もちろん友人はひたすらドン引いていて気の毒だった。お持ち帰るのはイチゴだけにしろ。

そして友人とその隣人の様子を横目で窺いつつ腰を庇いながらイチゴを採っていると、私の後ろにはまたもスタッフが仁王立ちで立っており、睨みながら「You are late」とか言ってくるのである。はいどうもすいませんでした。こちらもウインクしろとは言わないが、せめてもう少し朗らかであれよと思った。雇う側としてはそりゃあ知ったこっちゃないだろうが、こちとらビザ変更により急遽ファームに来ることになってしまったトレーニング不足のご老体なのである。激痛の腰をさすりながら振り返ったら身体大きめの男性が腕組みしながら睨んでくるの、嫌すぎる。わしゃピラミッド作りの奴隷か。

なんだか悪い所ばっかり書いてしまったが、もちろん全てのファームがこうなわけではない。
私が行ったところはお世辞にも腰に優しいとは言えなかったが、ファームによってはいちごのプランターの高さが腰くらいの高さになっていて腰を屈めなくていいようになっているところとか、手押し車的なものが使える等、身体的負担が少なく収穫できるようになっているファームもあるらしい。私が行ったところはお世辞にも人に優しいとは言えなかったが、ファームのスタッフが優しいところももちろん沢山あるだろうし、この感想は人にもよるだろう。あくまでも私がここに書いているのは一つのファームに(筋力体力共に平均以下の)一個人が行った際の記憶なので、私が行ったファームのことは嫌いになってもいちごファーム全体のことは嫌いにならないでください。いかん、公平な注釈を加えたかったのに漏れ出た私怨により結局ただの悪口になってしまった。大変申し訳ありませんでした。あのスタッフまじ覚えてろよ。


ルームメイトの日本人女子と湿布を分け合い、宿仲間のドイツ人に痛みに効くストレッチを教えてもらい、皆で腰痛に唸りつつ数週間を過ごしていたある日。
去年もファームジョブの経験がある日本人の仲間から「ブルーベリーは屈まないからイチゴより収穫が楽」という情報を聞き、私はひっそりとブルーベリーファームへの移動を検討し始めた。

ブルーベリーファームは毎年11月から募集を始めるとのことで、シティからは遠く離れた(バスで8時間)、Hastingsという場所にある。
しかし今より腰に優しい、しかも近くに宿もついているということで、ブルーベリーファームが働き手を募集し始めた瞬間、私は移動に向けて動きだした。そして速攻で辞める意思を伝えて荷造りに勤しみ最終日まで無心でイチゴをむしり、振り返らずにファームを出た。

さよならイチゴファーム。
別にイチゴに罪はないのだが、しばらくイチゴを買うことはないだろうと思った。

 

コロナでビザに翻弄された話 -後編-

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さて、どうやらもう少し居られそうだということは分かったが、肝心のSSEビザというものが何なのかは依然としてよう分からない。

通常のSSEビザは、果物や野菜の収穫等の季節労働をしに海外からやってくる労働者に与えられるもの(らしい)。しかし今回は「例年通りの海外からの人手が確保できず焦る農家たち」&「人類がコロナになっていようとお構い無しに実る果物たち」&「今母国に帰るよりNZに居た方が安全なワーホリビザ所有者たち」の三者を救うために急遽、「国内の」ワーホリビザ所有者たち向けに生まれた"特例"であった。
政府のWebサイトには「政府に認定されたファームで来年の6月まで働ける」とあったのだが、どのファームが認定されてるのかとか、観光ビザのように働かずにNZ滞在するだけでもできるのかとか、Twitterやwebサイトで情報を集めてみるも、"特例"だけに誰もその詳細を知らない。
10月まで残り数日ですけどこれ情報いつ出るの???
と首を傾げつつ毎日検索をかけているうちに、

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うぉい!!!!!(大声)
9月終わったよ⁈!
情報来なかったけども!9月終わったよ⁈
10月1日から新ビザ適応なんでしょ⁈
10月1日に旧ビザが切れた人も今この瞬間どこかにはいるんでしょ⁈
みんなこんな情報ないまま宙ぶらりんでいいの⁈
呑気にしてたら実は不法滞在でしたとかなったりしない⁈⁈
実に私にありそうな展開じゃない⁈⁈

 

延長が発表されたからには冷静に考えてそのようなことはないはずなのだが、致命的な思い込みをして空振りがちな己の人生を思い返すと、もはや政府が何を発表しようがその日本語訳を読もうが不安しかない。
私のビザが切れるのは10月中旬で、さすがにそれまでに何かしら案内はあるだろうが、それまで不安なまま過ごせってのか…くそ…いっそ殺せ…などと唸りながら毎日メールボックスを更新しているうちに、

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うぉい!!!!!(大声)
ビザ切れたけど⁈そして依然として連絡はないけど⁈
これやっぱり私不法滞在だったやつ⁈
私が不安を抱えながらぼーっとしてる間にみんな出国してたやつ⁈
どうしよう私だけとんだ馬鹿やんけ‼︎‼︎
これ飛行機とるべき⁈いや早まるな…まだ慌てるような時間じゃな…時間だろもう‼︎
などとパニックになっていたら2日後にちゃんとメールが届いた。

ふっ、びっくりさせやがって……。
大量の汗を拭ったところで、再びやってくる「SSEビザってなんぞ」の疑問。
ビザが添付されてくるメールにさぞ詳しく書いてあるんだろうと思ったが、「あなたのビザはSSEビザとなって6ヶ月伸びました!」と書いてあるだけでした。だからそのSSEビザがなんやねんて。
よくわからないながらも、「政府に認定されたファームで来年の6月まで働ける」のは確からしいので、政府のホームページからその「政府に認定されたファーム情報」とやらを見てみる。が、

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そんなわけあるか。

しかし検索すれどマジで2件しか出てこないのである。ビザ所有者どんだけいると思ってんだ、いや私も総数は知らんけども。さすがに2つのファームで囲える人数ではないだろ。

これが今年度のこの特例用の情報なのかも、去年から使ってたやつで今の時期いけるファームがたまたまこの2件だということなのかも、今後追加の見込みがあるのかも、もう全然わからない。
わからないけどどのみち2件は少なすぎることだけはわかる。
そのうち一件に連絡してみるも、偶然なのか元々なのか、数回かけた電話は全て繋がらなかった。
じゃあ選択肢ひとつやないかい。
まぎらわしいことすな最初からひとつにせんかい、じゃない、選択肢を増やせ。あぶない、ちょっと乗せられかけた。



そのもう一件のほうに連絡すると、あっさり返信がきた。
12月以降はブルーベリー収穫やチェリー収穫など色々な仕事があるが、10月から働けるところはイチゴファームのみとのこと。不法滞在の恐れはなくなったものの引き続き無職からの野宿も恐れていた私は、「そこに行きます!!」と大して考えもせず即答したのだが。

ファーム労働ということは、当然今よりは田舎に行くことになる。ということはすなわち今よりインフラ設備が悪いということになる。
私は以前日本にて、両側に畑しかないような大変見通しの良い道路にてガードレールに突っ込み、やってきた警官に「いったいどうして…」と困惑されたことがある。当時は黒煙を上げる車を見ながら警官と共に首をかしげていたのだが、こんな私が海外で車を運転してはいけないのは流石にわかる。日本語でもうまく説明できない事故を起こすような人間が英語圏で事故を起こすリスクを背負うべきではない。よって「車を運転する」というファーム仕事において非常に有利な条件を私は既にひとつ失っていることになる。命を失うよりはマシなので致し方ないが。

そしてそんな人間が交通の便が悪いファームで仕事を探そうとするのであれば、
①ファームの近くで家を借りる
②家賃と引き換えで住み込みで働く
③宿付きのファームに行き、賃金をもらいつつ家賃を払う
しかなく、選択肢はさらに絞られる。
(ちなみに②は動物系のファームに多いパターンらしいが、果物系の仕事では少ない)

先方から4件ほど提示されたファームの中で宿がついているファームは1件しかなく、それでも1件あるだけありがたい!よろしくお願いしまああああす!とサマーウォーズよろしく元気に返事をしたのだが、先方からは「じゃあファームのオーナーに伝えておきます」と淡々とした連絡がきた。

いや待ってじゃああなた誰???

私がずっとファームのオーナーだと思ってた人はどうやら農業系の斡旋業者だったらしい。4件もファーム持ってるなんてすごいなとは思ったけどそういうことか。盛大にずっこけたが、ここまで聞かなかった私が悪いか…と気を取り直した。農業に斡旋業者がいるイメージがあまり湧かなかったのだが、海外からの人手に農作物の収穫を頼っている部分が大きい国では当たり前なのかもしれない。


今回のSSEビザは条件を満たしたワーホリビザ所持者に自動的に付与されるもので、観光ビザや学生ビザ所持者が申請を希望する場合は別途申請料やらファームからの許可証等が必要とのこと。
学生ビザ保持者の恋人は少なくとも年末まではシティの学校に通わなくてはならないので、私が先に10月下旬からファームに行って働き、学校卒業と同時に恋人がSSEビザを申請することになった。

バスを乗り継げば2時間ほどでシティに帰れる距離ではあるが、まさかここにきて一人暮らし再び、しかも田舎にイチゴ狩りに降り立つことになろうとは。

少しの心細さを感じながらも、NZに降り立って1年ぶりに「新しい場所に行く」というワクワクもあり、その日は久々に眠れない夜を過ごしたのだった。

 

 

コロナでビザに翻弄された話-前編-

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さて、一般的にワーホリビザの期限は1年間である。
一般的に、というのはこの期間内に3ヶ月ファームで働き3ヶ月ビザを延ばす方法もあるためだ。(つまり最大で1年3ヶ月ワーホリできるということである)
知識としては渡航前に知っていたしせっかくNZ行くならファームジョブもいいナ☆
広大な牧場で羊と戯れたりしちゃおっかナ⭐︎
などと考えていた時期もあったが、インド人と戦ったり歯の被せ物が取れたりロックダウンにあったり貯金残高が3桁になったりブラック企業に嵌まったりしていたこの時期、未知のファームで働くという冒険をする選択肢などもはや考えも及ばなかった私は、普通に黙々とジャパレスで働いていた。つまり普通に1年でビザが切れるということだ。


ちなみにこの時点で、ロックダウンの影響を強く受けた4月〜7月中旬が期限のワーホリビザ所持者に限り、9月25日までビザの期限が自動延長されていた。
7月下旬以降の我々もフツーに強く影響受けてますけど⁈!!
つくづく政府の網からこぼれ落ちがちな人生である。
国境を閉めたことで今まで移民に頼っていた分野で人が足りなくなること、とくにこれからNZは夏のフルーツシーズンに入るということで、ファームと移民局がなにやらビザについて相談をしているという情報もささやかれていた為、9月後半まで私のビザも延びないかとうっすら期待して待っていたのだが、特に動きはなかった。


今日本に帰ってしまえば、次恋人と会えるようになるまで何ヶ月かかるか分からない。
日本の社会情勢もそこまで良くはなく、コロナも依然おさまる兆しはないし、特に私のいたサービス業は致命傷を受けていた。経験者とはいえども、帰ったところで職が見つかるとは限らない。
であれば働けなくても観光ビザを取得して数ヶ月様子を見よう、と私は新しいビザの申請準備をし始めた。


ワーホリビザから観光ビザに変更するには、
・申請理由(今まで1年も居たくせに何で更に観光の時間が要るねんワレ、に対する理由)
・滞在したい月×必要な生活費を持っているという資金証明
・健康診断の書類
等が必要になるらしい。
ひとまず申請理由を英語で書き綴り、120ドルほど払って健康診断を受け、資金証明のために両親から借金してNZの口座への送金を頼み、あとは口座への着金が完了したらアプライボタンを押すだけの状態になった。
その日がたまたま日本での4連休にあたり、送金→着金に通常より時間がかかるとのことで、
あとはアプライするだけだし気長に待つかな〜と思っていたところで、
「10月1日以降が期限のワーキングホリデービザをSSEビザに自動変更します」
とイミグレーションが案内を出してきた。


え?
今????
10月1日まで残り3日くらいの今???
ていうかSSEってなに???
そんなことある???

急展開に呆然としている間に、
今度は観光ビザアプライ用のお金が口座に到着した。

え?
今????
どうやらビザ申請がいらなくなった今???

と再度流れでつっこんでしまったが、今回ばかりはトラブルが吉と出たというか、連休によって送金が遅れて本当に良かった。おかげで申請料を払うことなく、新しいビザを得られたのだから。

ただし。

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私は昨日病院からもらったばかりの証明書を見た。
健康診断書の提出が不要になった今、私は120ドル払ってただ己の健康を証明しただけの人になってしまった。
あと2日くらい早く言ってくれてたらな。
昨日健康診断受けたのにな。
翌日にビザ延長されるとも知らずにな。
あとこの証明書の私の顔写真、犯罪者感すご。
(※画像では絵の都合上1枚にしていますが通常は領収書と診断証明書は分かれてます。いくら顔が犯罪者っぽくても領収書に顔写真は載りませんのでご安心ください)

様々な釈然としなさを感じながらも、
ひとまず私はもうしばらくニュージーランドに居られそうだと胸を撫で下ろした。

フィリピンからの素敵なご縁と切りたかったご縁の話

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ニュージーランドにワーホリに来る、もっと前。

東京の端っこの方に生まれたっきりそこから微動だにしなかった私は、20代前半で急に海外旅行に目覚め、長期で休暇が取れれば海外に行っていた。今まで東京の中心地にすら怖がって行かなかったのにである。
ほとんどは短期旅行だったのだが、数年前に1ヶ月だけフィリピンに語学留学に行った。フィリピン留学といえばセブやマニラが有名だが、学校を選ぶ時点で「中心地怖い」の精神が顔を出して比較的田舎の地域の寮つき学校を選んだ。

選んだ理由は「人混みがこわい」というひどく後ろ向きなものだったが、学校選びの結果は大成功であった。語学力が爆上がりしたとかそういうことではなく、その学校にはたくさん野良猫がいて、学校敷地内で子育てをしていたのである。あちこちに子猫がいる環境が幸せすぎて休み時間になるたびに猫に挨拶してまわっていた私は敷地内の全ての猫親子の縄張りをだいたい把握するに至り、他の猫好き生徒から猫の様子を聞かれたりするようになったし、授業中猫の声が聞こえればそちらに顔をシュンと向けるので先生に怒られた。

だって見てほらこんなにかわいい。

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イヤミもぶっとぶほどの世界一かわいいシェーである。日本語でさえ言われてること何一つ頭に入ってこないほどである。英語が頭に入るはずがないのだ。(開き直り)

 

ある日突然嵐のような大雨が降ってきた日があった。
普段は使われていない古い排水溝を寝床にしていた子猫たちを思い出して覗きに行ったら案の定母猫は不在で、水がどんどん入ってきていたため学校のスタッフと日本人カウンセラーさんに事情を話して排水溝を開けてもらった。
晴れるまで子猫たちをダンボールで保護し、普段母猫がよく寝ている吹き抜けの廊下に置いてとりあえず様子を見ていたら、そこに同じ授業をいくつか取っている韓国人の女性がやってきて、「本当に猫が好きなんだね」と私に英語で話しかけてくれた。しばらく話していたら「日本語で”cat”はなんて言うの」と聞くので”猫”だと教えた。続いて「”cute”はなんて言うの」と聞くので”かわいい”だと言ったら、少し考えたのち彼女は子猫を見下ろし、また私を見てはにかみながらこう言った。

 

「"ねこ かわいい"?」

 

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衝撃である。

その時まで私はそばにあったダンボールの中の子猫と同じレベルに可愛いホモサピエンスが地球上にいることなど予想だにしていなかった。それくらい衝撃的にかわいかった。同じ他言語のカタコトなはずなのに、私の「あいふぁいんてんきゅう!」的ひらがな英語と彼女の「ねこ かわいい」のひらがな日本語の差ときたらもはや完全に別ジャンルだった。私の人生がソシャゲだったら今のこの瞬間の彼女は確実にSSRカードの美麗イラストになる、と瞬時に思った。こんな例えが瞬時に出てくる時点でまあまあ病気である、と今は思う。

雨の日に子猫を助けて可愛い女の子に微笑まれるという少女漫画のギャップ持ち不良青年みたいなイベントを起こしてしまったあと、私は彼女と仲良くなった(ちなみに雨の日に助けた子猫たちはちゃんと母猫と再会し、次に雨が降るまでに自力で排水溝から這い上がれるようになった。私が寝床を覗きにいくと得意げに自力で這い上がってきては私の足元にやってきてサンダルをかじる子猫たちの可愛さときたら以下略)。

フィリピンは基本トイレにトイレットペーパーがないため自分でティッシュを持ち歩かなければならなかったり、水道水で歯磨きしたら緩やかにお腹を壊したり、他の生徒の歓迎会でステーキを食べたらそのボリュームに耐えきれず翌日グロッキーになって過ごしたりと、身体的なカルチャーショックが凄かった場所でもあったが(帰国して日本のトイレに紙があるだけで感動した)、同じ時期に日本から来た他の生徒や猫好きな韓国人女子、他国の友人と買い物に行ったりフェスティバルに行ったりと様々なイベントを楽しんだし、校内のカフェテリアで売っているマンゴージュースは毎日飲んでも飽きなかった。みんなでカラオケに行ったら数えるほどしかない日本語曲の中にかなりの割合で宇多田ヒカルが入っており、宇多田ヒカルの凄さを実感したりもした。

1ヶ月後私がフィリピンから帰国したあとも彼女は数ヶ月学校に残っており、たまに猫の写真を送ってくれた。フェイスブックを通じてたまにやりとりをしていたため、彼女が数ヶ月後にフィリピンからカナダに渡ったのも知っていた。しかし私も元々頻繁にフェイスブックの更新をするタイプではなかったし、彼女に至っては1年に1回現在地に関する投稿があるかないか程度の更新頻度だったので、私が社会人になって仕事が忙しくなってからは誕生日にメッセージを送り合うくらいで、あまり近況は知らなかった。


のだが。


時は戻って2020年。
ロックダウン中預金残高に震えながらも暇を持て余していた私は、その年1、2回程度しか更新しないフェイスブックを久々に更新したりしていたのだが、その記事にとある知人から書き込みがあった。
その知人は私と同じ日にフィリピンに降り立ち、人生初の海外旅行でいきなりフィリピン語学留学(in 田舎)を選んだかなりの強者で、留学当時も仲良くしてもらっていたのだが、その彼が現在ニュージーランドに恋人と共に住んでいるという。住んでいる場所を聞いたらなんと同じ都市で、その上なんと”恋人”というのは例のSSR韓国人女性らしい。フェイスブックでぽんぽんと明らかになっていく衝撃の事実に、私はただ目と口をかっ開いてコイキング顔をしていた。
フェイスブックってすげえ、更新してみるもんである。ありがとうマーク・ザッカーバーグ。フィリピンで出会った友人どうしが、まさかニュージーランドの同じ都市で共に暮らしていようとは。世界は広いのか狭いのか。


ロックダウンが明け、やっと仕事も決まった頃、とあるカフェで2人と会う約束をした。全然面識がないはずの恋人も珍しく一緒に行きたいと主張したため、当日は4人で会話を楽しんだ。相変わらず優しくて落ち着いている二人を見ながら、こういう人たちはきっとATMの前で踊ったりグミ食べてる途中に歯の被せ物が取れたりしないのだろうと私は思った。別にこの二人に限らずこんな感じの目に遭っている人を他にあまり見たことはないが。
初めてのフィリピンで出会った2人と別の地で再会して、しかも隣に外国人の恋人がいるこの状況、フィリピン帰国後の当時はおろか1年前の私に言ってもきっと信じられないだろう。
私が帰国したあとの二人の馴れ初めやお互いのビザ状況、今後どうするかなどを話しながら、私は久々に貧乏を忘れて笑い、
調子に乗って分厚い肉のサンドを食べ、

そして翌日、盛大に体調を崩した。

 

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朝起きた時、それは微かな不快感だった。
しばらくじっとしていたら良くなったのでそのまま仕事に出勤し、出勤後3時間くらいしてからゆるやかに体調が悪くなっていき、そして最終的に「顔色が紙のように白いから」というマネージャーの至極まっとうな判断により帰された。
帰宅後に白い顔でトイレにうずくまりながら、私はやはりフィリピンのことを思い出していた。

新しく留学生が来たその日、歓迎会と称したご飯会で調子に乗って分厚くてボリューミーな肉を食べた翌日。マーライオン状態となった私は授業を全欠席し、もちろん食堂にすら行けず、その日はほぼバナナとポカリスエットだけで生き永らえた。韓国人女子も心配して食べ物を部屋の前に置きに来てくれたし、翌日猫たちは「珍しく昨日来なかったな」と言わんばかりににゃおにゃお鳴きながら足元に集まってきた。かわいい存在たちに心配された(と思い込んだ)私はその後1日で完全回復した。持ち主同様チョロい体である。かわいいは正義


そしてあれから時は流れて数年、昨日調子に乗って分厚い肉を食べた私は今、またもこうして仕事を早退してトイレでうずくまっているのである。なにもハプニングまではるばる巡ってこなくて良かったのに。数年ぶりなのは友人二人だけで十分だったのに。ここまでのご縁はいらなかったのに。
今の私には部屋の前まで来てくれる友人も足元に集まってくれる猫たちもいないし、恋人は仕事で夜まで帰ってこない。ただ一点あの頃よりマシなのは、私が今うずくまっているトイレには少なくともトイレットペーパーの予備があることである。
普段食べ慣れていない、高級かつ脂肪分の多いお肉を、普段食べ慣れていないからこそ「でも勿体無いし」と無理して食べきった結果がこれである。忘れるなかれ、己のボディが基本的に貧乏仕様であることを。
というかやっとロックダウンが明けたというのに、ATMでクレカ失くしたり分厚いお肉で体壊したりしてる自分本当なんなんだ。クラウチングスタート張り切りすぎて大失敗してるマリオカート初心者か。皆が一斉に走り出す中一人だけ黒煙上がって止まってる奴か。

唯一の成長は、こうなった時どうすれば快方に向かうかは分かっている点である。
一通り吐ききったら水を飲んで、胃に優しいものを食べて寝るしかない。
できれば「こうなった時」ではなく「こうなる前に」も学んでいるべきだったが、
なってしまったものはもう仕方ないので今後の自分に期待することにする。
現時点が底辺すぎて伸びしろがすごい。

とにかくお前は二度と海外で!調子に乗って!分厚い肉を食べるな!!
私は己の脳内にその教えを刻み込み、白い顔でひたすら水分を摂りつづけたのであった。

金欠のカモがブラック企業に料理されかける話

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ロックダウンのレベルが2に下がり、ATMに食われた私のクレカが無事復活した後。飲食店の営業が元に戻るに従って、再び少し求人が出始めた。

一時期は最悪の場合に備えて「快適に野宿ができそうな公園リスト」などを脳内で作り上げていた私だったが、各社採用活動が再開し始めた所でロックダウン前に面接の連絡をくれていた2社にダメ元で連絡してみたところ、ロックダウン中に帰国したスタッフが複数おり欠員が出たとのことで、6月上旬より2社掛け持ちで働けることになった。ロックダウン中テディベアを数えて暮らしていたニート、突然のダブルワークである。なぜいつも0か100かみたいな人生なのか。
3ヶ月の無職期間のあとのダブルワークは体力的にかなり厳しい予感はしていたが、それ以上に財布の中身が厳しすぎたし、このご時世に職があるだけありがたい。ひとまずやるだけやってみよう、と覚悟を決めることにした。


ダブルワーク1社目は既に何店舗も運営しているチェーン店、2社目はコロナ前にオープンを予定していた新店舗。1社目はマニュアルもスタッフも安定しており、研修も丁寧だった。
問題は2社目である。
ロックダウンで出鼻をくじかれ、おそらく変更点も多々あり、そもそもロックダウンで工事が遅れて店舗がまだ完成していないという状態だった。
いやよく人雇ったな?店舗がまだない店で働くってどんな状態?
色々なハテナが頭上を飛び交ったが、ひとまず本店舗ができるまで別店舗で研修になるということで、いったん頭上を飛び交うハテナは叩き落として組み伏せた。

が。


何十枚ものプリントを渡され「明日までに覚えてね」で終了の研修に始まり、契約内容とは違う仕事内容、前日の夜に変更になるシフト、の割に休日も突然「今日これる?」と電話で呼ばれ、行ったら行ったで「あっ今仕事ないわ〜誰かに聞いて仕事もらってきて!」等と言われたらい回しにされる始末。
いやまあ色々バタバタするよね〜未曾有の事態の直後だもんね!しょうがない!と押さえつけていた足元のハテナ達が、
「いや未曾有の事態ではあったが?
逆に言えばロックダウンでオープンまでの猶予が2ヶ月延びた状態で?
オペレーションがこんな状態の運営ってあるか???」
と再び頭上に浮き上がり、周囲を高速旋回し始めるのにそう時間はかからなかった。


ある日厨房から鮭の箱の受け取りを頼まれて、数キロの鮭の箱×10くらいを数箱ずつヨロヨロと階段を上り下りして運んでいたら、サインを貰おうと戻ってきた配送業社のおじさんがびっくりして一緒に運んでくれた。あらやだおじさん優しい天使!と思っていたのだが、
「逆に一人で重労働させられてるのが普通なの?君にとってここは本当にいい職場か?」
とド正論をつきつけられた。

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天使は優しいながらも辛辣であり的確であった。
私はグウの音も出ず棒立ちになり、秒速で真理をついたおじさんは階段の上まで鮭運びを手伝ってくれた後やはり素早く自分の仕事に戻って行った。さすが全ての仕事が早い。こちとらそのヤバさに気づくのに2、3週間くらいかかったというのに。

とはいえ貯金額が3桁になった時に雇っていただいた身である。あの時の精神的しんどさはもう経験したくない。これってブラック企業だな??とは思いつつ、ひとまず今はお金を貯めねばと渋々働いていた。今思えば新卒が殺されていくパターンの一つである。
そして次に待ったをかけたのは運送業者のおじさん、ではなく私の恋人であった。

「ダブルワークに関しては最初から理解はできなかったけど、君がやりたいって言ったから応援しようと思ったよ。だけど今君は嫌な顔しながら仕事に行って、嫌な顔して帰ってくるだろう、それなら応援はできない。君の味方ではいるけど、間違ってると思ったら言うよ。良い関係ってそういうことだろう」

あらやだいつのまにこんなにイケメンに育って。
任天堂Tシャツを着た恋人が世界一のイケメンに見えた瞬間であった。クリスマスにロールキャベツ食べてくれなかったけど、今なら許そうと思えた(※未だに根に持ってた)。

彼の言葉で完全に目が覚めた私はブラック職場に退職の意思を告げ、もう片方の職場一本で頑張ることにした。周囲の職場仲間は皆辞めたがっていたが、皆ロックダウン明けでお金がない人が多く、他の仕事も探している最中でなかなか辞められないと言っていた。普通であればもっと人がバンバン辞めていくような労働環境だったと思うが、ロックダウン明けの金欠な労働者たちはブラック企業的に良いカモだったのであろう。私は最初から2箇所仕事を持っていたから決意してすぐに辞められたのだ。日常的に不運ではあるが緊急回避性能のみ高いのが幸いした。

また約1ヶ月ほどではあったがダブルワークをした甲斐はあり、ブラック職場を退職した頃には銀行残高極限状態から抜け出すことができていた。ひとまず1ヶ月分の家賃程度の貯金は確保し、私はようやく息をついた。銀行残高4桁、決して裕福ではないが安心感が段違いである。

とりあえず、グッバイブラックカンパニー。上機嫌でもう一方の職場で働く私に降りかかる次の火の粉は3ヶ月後にやってくるのだが、それはまた別のお話。