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ニュージーランドでの日々を書いています。

フィリピンからの素敵なご縁と切りたかったご縁の話

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ニュージーランドにワーホリに来る、もっと前。

東京の端っこの方に生まれたっきりそこから微動だにしなかった私は、20代前半で急に海外旅行に目覚め、長期で休暇が取れれば海外に行っていた。今まで東京の中心地にすら怖がって行かなかったのにである。
ほとんどは短期旅行だったのだが、数年前に1ヶ月だけフィリピンに語学留学に行った。フィリピン留学といえばセブやマニラが有名だが、学校を選ぶ時点で「中心地怖い」の精神が顔を出して比較的田舎の地域の寮つき学校を選んだ。

選んだ理由は「人混みがこわい」というひどく後ろ向きなものだったが、学校選びの結果は大成功であった。語学力が爆上がりしたとかそういうことではなく、その学校にはたくさん野良猫がいて、学校敷地内で子育てをしていたのである。あちこちに子猫がいる環境が幸せすぎて休み時間になるたびに猫に挨拶してまわっていた私は敷地内の全ての猫親子の縄張りをだいたい把握するに至り、他の猫好き生徒から猫の様子を聞かれたりするようになったし、授業中猫の声が聞こえればそちらに顔をシュンと向けるので先生に怒られた。

だって見てほらこんなにかわいい。

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イヤミもぶっとぶほどの世界一かわいいシェーである。日本語でさえ言われてること何一つ頭に入ってこないほどである。英語が頭に入るはずがないのだ。(開き直り)

 

ある日突然嵐のような大雨が降ってきた日があった。
普段は使われていない古い排水溝を寝床にしていた子猫たちを思い出して覗きに行ったら案の定母猫は不在で、水がどんどん入ってきていたため学校のスタッフと日本人カウンセラーさんに事情を話して排水溝を開けてもらった。
晴れるまで子猫たちをダンボールで保護し、普段母猫がよく寝ている吹き抜けの廊下に置いてとりあえず様子を見ていたら、そこに同じ授業をいくつか取っている韓国人の女性がやってきて、「本当に猫が好きなんだね」と私に英語で話しかけてくれた。しばらく話していたら「日本語で”cat”はなんて言うの」と聞くので”猫”だと教えた。続いて「”cute”はなんて言うの」と聞くので”かわいい”だと言ったら、少し考えたのち彼女は子猫を見下ろし、また私を見てはにかみながらこう言った。

 

「"ねこ かわいい"?」

 

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衝撃である。

その時まで私はそばにあったダンボールの中の子猫と同じレベルに可愛いホモサピエンスが地球上にいることなど予想だにしていなかった。それくらい衝撃的にかわいかった。同じ他言語のカタコトなはずなのに、私の「あいふぁいんてんきゅう!」的ひらがな英語と彼女の「ねこ かわいい」のひらがな日本語の差ときたらもはや完全に別ジャンルだった。私の人生がソシャゲだったら今のこの瞬間の彼女は確実にSSRカードの美麗イラストになる、と瞬時に思った。こんな例えが瞬時に出てくる時点でまあまあ病気である、と今は思う。

雨の日に子猫を助けて可愛い女の子に微笑まれるという少女漫画のギャップ持ち不良青年みたいなイベントを起こしてしまったあと、私は彼女と仲良くなった(ちなみに雨の日に助けた子猫たちはちゃんと母猫と再会し、次に雨が降るまでに自力で排水溝から這い上がれるようになった。私が寝床を覗きにいくと得意げに自力で這い上がってきては私の足元にやってきてサンダルをかじる子猫たちの可愛さときたら以下略)。

フィリピンは基本トイレにトイレットペーパーがないため自分でティッシュを持ち歩かなければならなかったり、水道水で歯磨きしたら緩やかにお腹を壊したり、他の生徒の歓迎会でステーキを食べたらそのボリュームに耐えきれず翌日グロッキーになって過ごしたりと、身体的なカルチャーショックが凄かった場所でもあったが(帰国して日本のトイレに紙があるだけで感動した)、同じ時期に日本から来た他の生徒や猫好きな韓国人女子、他国の友人と買い物に行ったりフェスティバルに行ったりと様々なイベントを楽しんだし、校内のカフェテリアで売っているマンゴージュースは毎日飲んでも飽きなかった。みんなでカラオケに行ったら数えるほどしかない日本語曲の中にかなりの割合で宇多田ヒカルが入っており、宇多田ヒカルの凄さを実感したりもした。

1ヶ月後私がフィリピンから帰国したあとも彼女は数ヶ月学校に残っており、たまに猫の写真を送ってくれた。フェイスブックを通じてたまにやりとりをしていたため、彼女が数ヶ月後にフィリピンからカナダに渡ったのも知っていた。しかし私も元々頻繁にフェイスブックの更新をするタイプではなかったし、彼女に至っては1年に1回現在地に関する投稿があるかないか程度の更新頻度だったので、私が社会人になって仕事が忙しくなってからは誕生日にメッセージを送り合うくらいで、あまり近況は知らなかった。


のだが。


時は戻って2020年。
ロックダウン中預金残高に震えながらも暇を持て余していた私は、その年1、2回程度しか更新しないフェイスブックを久々に更新したりしていたのだが、その記事にとある知人から書き込みがあった。
その知人は私と同じ日にフィリピンに降り立ち、人生初の海外旅行でいきなりフィリピン語学留学(in 田舎)を選んだかなりの強者で、留学当時も仲良くしてもらっていたのだが、その彼が現在ニュージーランドに恋人と共に住んでいるという。住んでいる場所を聞いたらなんと同じ都市で、その上なんと”恋人”というのは例のSSR韓国人女性らしい。フェイスブックでぽんぽんと明らかになっていく衝撃の事実に、私はただ目と口をかっ開いてコイキング顔をしていた。
フェイスブックってすげえ、更新してみるもんである。ありがとうマーク・ザッカーバーグ。フィリピンで出会った友人どうしが、まさかニュージーランドの同じ都市で共に暮らしていようとは。世界は広いのか狭いのか。


ロックダウンが明け、やっと仕事も決まった頃、とあるカフェで2人と会う約束をした。全然面識がないはずの恋人も珍しく一緒に行きたいと主張したため、当日は4人で会話を楽しんだ。相変わらず優しくて落ち着いている二人を見ながら、こういう人たちはきっとATMの前で踊ったりグミ食べてる途中に歯の被せ物が取れたりしないのだろうと私は思った。別にこの二人に限らずこんな感じの目に遭っている人を他にあまり見たことはないが。
初めてのフィリピンで出会った2人と別の地で再会して、しかも隣に外国人の恋人がいるこの状況、フィリピン帰国後の当時はおろか1年前の私に言ってもきっと信じられないだろう。
私が帰国したあとの二人の馴れ初めやお互いのビザ状況、今後どうするかなどを話しながら、私は久々に貧乏を忘れて笑い、
調子に乗って分厚い肉のサンドを食べ、

そして翌日、盛大に体調を崩した。

 

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朝起きた時、それは微かな不快感だった。
しばらくじっとしていたら良くなったのでそのまま仕事に出勤し、出勤後3時間くらいしてからゆるやかに体調が悪くなっていき、そして最終的に「顔色が紙のように白いから」というマネージャーの至極まっとうな判断により帰された。
帰宅後に白い顔でトイレにうずくまりながら、私はやはりフィリピンのことを思い出していた。

新しく留学生が来たその日、歓迎会と称したご飯会で調子に乗って分厚くてボリューミーな肉を食べた翌日。マーライオン状態となった私は授業を全欠席し、もちろん食堂にすら行けず、その日はほぼバナナとポカリスエットだけで生き永らえた。韓国人女子も心配して食べ物を部屋の前に置きに来てくれたし、翌日猫たちは「珍しく昨日来なかったな」と言わんばかりににゃおにゃお鳴きながら足元に集まってきた。かわいい存在たちに心配された(と思い込んだ)私はその後1日で完全回復した。持ち主同様チョロい体である。かわいいは正義


そしてあれから時は流れて数年、昨日調子に乗って分厚い肉を食べた私は今、またもこうして仕事を早退してトイレでうずくまっているのである。なにもハプニングまではるばる巡ってこなくて良かったのに。数年ぶりなのは友人二人だけで十分だったのに。ここまでのご縁はいらなかったのに。
今の私には部屋の前まで来てくれる友人も足元に集まってくれる猫たちもいないし、恋人は仕事で夜まで帰ってこない。ただ一点あの頃よりマシなのは、私が今うずくまっているトイレには少なくともトイレットペーパーの予備があることである。
普段食べ慣れていない、高級かつ脂肪分の多いお肉を、普段食べ慣れていないからこそ「でも勿体無いし」と無理して食べきった結果がこれである。忘れるなかれ、己のボディが基本的に貧乏仕様であることを。
というかやっとロックダウンが明けたというのに、ATMでクレカ失くしたり分厚いお肉で体壊したりしてる自分本当なんなんだ。クラウチングスタート張り切りすぎて大失敗してるマリオカート初心者か。皆が一斉に走り出す中一人だけ黒煙上がって止まってる奴か。

唯一の成長は、こうなった時どうすれば快方に向かうかは分かっている点である。
一通り吐ききったら水を飲んで、胃に優しいものを食べて寝るしかない。
できれば「こうなった時」ではなく「こうなる前に」も学んでいるべきだったが、
なってしまったものはもう仕方ないので今後の自分に期待することにする。
現時点が底辺すぎて伸びしろがすごい。

とにかくお前は二度と海外で!調子に乗って!分厚い肉を食べるな!!
私は己の脳内にその教えを刻み込み、白い顔でひたすら水分を摂りつづけたのであった。