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ニュージーランドでの日々を書いています。

さようなら、またいつか

あとで振り返って「こんなおもろいこともあったな」と思う用にここに記録をつけてはいるけれども、たまにはそうでないことも書き残しておこうと思う。

8月の下旬、その日はまだ外が薄暗いうちに目が覚めた。
夢を見たのだ。数年前に亡くなった飼い犬と、今年の初めに亡くなった飼い猫が出てくる夢だった。
彼らは両側から仲良く私の手を舐めてくれていて、特に猫の舌のザラザラとした質感がやけにリアルで、起きた時「最近の夢はすげえな4Dかよ(?)」と驚いた。
犬だけが夢に出てきたり、猫だけが夢に出てきたことは今までだってあったけれど、二匹が揃って出てきたのはその時が初めてだった。
彼らは長年一緒に暮らしていたけれど別に仲良しこよしというわけでははなかったから、「なんだ今まで二人で出てきたことないくせに、あっちでは仲良くやってんのか」とちょっと安心しながら時間を確認して寝た。まだ出勤まで時間があるし、こんな夢なら半端な時間に起きてもいいなと思っていた。二度寝して、起きて、犬と猫の写真に挨拶してからいつも通りに出勤した。


父が亡くなったと連絡が来たのは、その日の昼のことだった。

連絡が来た時はもちろん驚いた。持病があったとは聞いていない。驚いたけれど、同時に少し納得もしていた。あの二匹が珍しく一緒に夢に出てきたと思ったらそういうことか、と思った。あのペロペロは「これからしんどいだろうが頑張れよ」ということだろうか、と泣く母を見ながらぼんやり思った。
その数日前だって私は父とやりとりをしていたし、前の週にも実家に行っていた。
ちょうど保護猫を迎える話をしていて、老夫婦が保護猫を迎える際には何かあった時に世話ができる他の人が必要なのだと言われたから譲渡会に着いていっていたのだ。
数ヶ月前から譲渡会には時折参加していたが、ちょうど家族一致で「この子かな」という猫が見つかり、話を進めていたところだった。
猫の名前は何がいいかね、候補はこれかこれかね、当日名前を呼んでみてからその反応で決めようかと父は嬉しそうに話していた。
結局どちらの名前を呼ぶこともなく、父は逝ってしまった。

 

しんみりとここまで書いたが、大変だったのはその後である。大忙しで悲しむ暇さえろくになかった。父の兄や会社の方々への連絡はまだ良かったけれど、そこから先が困った。携帯はセキュリティがかかって開けられないし、父親の交友関係なんて知らない。手帳や電話帳などがないSNS主流となった情報社会の弊害!と私は一人頭を抱えた。母から聞き出せた父の親しい友人も連絡先までは分からず、しかし火葬までにはなんとか会わせたいのだと母が泣きながら言うものだから「そうは言いましてもお客さん……」と途方に暮れる仲介業者の気持ちになりながら私は久しぶりにFacebookを開き、顔写真と名前で母に確認をとった上で「突然のご連絡失礼します、○○の娘ですが……」と一昔前のスパムメールみたいな文面を何通か送った。これで連絡が来たら奇跡だろと捨て鉢に思っていたら、来た。SNS主流となった情報社会も捨てたものではない。
父と同世代の方々なので恐らく会社でもそれぞれそれなりの地位についていて、予定を空けるのは簡単ではなかっただろう。しかも突然スパム系の文面で友人の娘と言い張る知らん女から連絡が来てさぞ不審に思ったことだろう。それでも火葬前に色々な人が来てくれて、父の遺体に手を合わせてくれた。それには本当に、感謝しかない。

火葬の際、それが可燃性であれば故人の周りに何か思い出の品を入れられると聞いた。
最後に父と会った日、父は扇子を仰いでいた。もはや何年前かも覚えていない、私が誕生日か何かのプレゼントとしてあげた扇子だ。父が取り出そうとして落としたのを拾い上げた時、これまだ使ってんだ、と思ったことを覚えている。
その時の父を思い出し、棺に扇子を入れたいと私は言った。古すぎて数カ所セロテープで補正されたそれを納めた時、犬の散歩に行く時にでも引き続き使ってくれ、と心の中で呼びかけた。向こうに暑い日というものがあるのかは分からないけれど、まあ何かの役には経つだろう。
火葬が終わり、諸手続きが終わり、いったん全てがひと段落した後、私はようやく悲しむことができた。こういう時は忙しすぎるくらいのほうがちょうど良いのかもしれない。そのために現代社会で家族が亡くなった後のプロセスというのはあんなにも忙しないのかもしれない。いやそれにしてももうちょっとなんとかならんのかいとは思ったが。

 

父は動物が好きな人だった。
亡くなって少しして、いわゆる死亡診断書というものを見たのだが、父が亡くなった推定の時間は私が一度夢から起きた時間だった。ああ、じゃあ犬と猫は一緒に迎えに来たついでにこっちに顔を見せてくれたのかなと思った。犬も猫も父に一番懐いていたから、そりゃあ迎えにも来るだろう。猫はともかく犬は亡くなってしばらく経つのに、まあよく待っていたもんだなと思った。生きていたころには誰に似たのかまあまあ捻くれ者で、忠犬とはほど遠いイメージだったが案外ハチ公メンタルだったのかもしれない。父本人は突然亡くなってさぞ無念だっただろうが、犬も猫も迎えに来てくれたなら今は案外幸せに過ごしているかもしれないと思った。恐らく父は今寂しくはないのだろうと思うことは私の救いでもあったけれど、両側をもふもふさせながら四十九日を過ごしているのかと思うと、猫も犬もいない状態で各所への連絡に追われる自分がひどく可哀想な気さえした。せめてどちらか一匹こちらに派遣してほしい。こちらは猫の手も借りたいというのに。


父は仕事が好きな人だった。
自分が社会人として働くようになって初めて、ああこの人は仕事が好きなんだなと思った。私は家に帰ってきてまで、こんなに楽しげに仕事の話はできないなと思った(さっさと切り替えてゲームとかしたいし)。人生の大半を占める仕事という時間を好きでいられた父は多分幸せ者なのだろう。まだやりたかったことが沢山あったはずだった。きっと悔しさもあるだろう。あるだろうが、さまざまな手続きが突然降って湧いた会社の人たちと我々家族のその後のバタバタを思うと、「まあ悔しいでしょうが、それは我慢してもろて……」という気持ちになる。
父の会社の人たちは、自分たちも諸手続きで大変だろうに遺族である私たちを気遣い、連絡をくれていた。とてもありがたいことである。うちの会社なんて親が亡くなって3日しか休みをくれなかったのにえらい違いだ。数ヶ月後の定期面談の際に「他に何かありますか?」と言われて「一等親が亡くなった際の忌引休暇が3日なの、どうにかなりませんか?」と真顔で問うたら担当者がハワ……となっていたので、ここはぜひとも今後の改善を願いたい。


父は優しい人だった。
特に私には甘かった。親子喧嘩というものをしたことがなく、多分それは思春期に父が色々気を遣ってくれていた結果なのだろうけれど、「お父さんの下着と一緒に洗濯しないでよ!」みたいな感じには別にならなかった。父がしてくれたことと同じように、父がいたから選ばずに済んだ選択肢があったことを忘れずにいたいと思う。
父は亡くなったけれど、「父を失くした」とは思わない。大切な人が自分の側からいなくなるということは、今までの全てがなくなるということではない。その人に助けられて作ってきた土台の上に、今度はその人の助けを借りずに続きを作っていくということだ。今まで作られてきた土台は自分の足元を見ればちゃんとあって、別になくなったりしていない。穴だって空いていない。もうすこし一緒に喋りながら作業できるものと思っていたから、それはとても寂しいけれど、でも仕方がない事だ。私が私として生きていく限り、父が作った土台も生きていく。そう思いながら、たまに手を止めながら、それでも生きている人間は続きを作っていくしかないのだ。いつか私が向こうに行って「こんな感じに仕上がりましたがどうでしょう」とその作品を見せた時、低評価なら「いや手助け役が早く居なくなりすぎたからな〜」と文句を言えるし、高評価なら「私が頑張って作りました!」とふんぞり返ることにしようと思う。

 

最後に父と会った保護猫の譲渡会の日、外があまりに暑かったため私たちは駅前のドラックストアで母を待っていた。「何か他に買うものある?」と商品をいくつかカゴに入れた父に聞かれ、オッこれはちょっと値が張るものを買ってもらえるチャンスでは、と外反母趾に効くらしい靴の中敷きをサッと出した。ちょっと前から気になっていたやつである。この行動のせいで、父からの最後の贈り物が靴の中敷きになってしまったわけだが、それに気づいた時には既に中敷きは私の靴の中だった。自分の靴に一度入れてしまったやつだし、後生大事にするには何かうっすら嫌である。役目を終えた時捨てづらいし、ずっと取っておくのもなんか嫌。まあ少なくともしばらくは、靴の中に入れて共に歩んでいこうと思う。私が間違った歩みをした時には、これが正してくれるはず(物理的に)である。

保護猫については、そのまま譲渡されることになった。「何かあった時」が猫を受け入れる前から来てしまうというまさかの展開に「これは断られるかな」と少し覚悟していたけれど、保護猫の里親さんがこちらの事情を汲んで譲渡してくれたのだ。父が選んだ子でもあったから、受け入れられてほっとした。
ここ数十年で一番沈んだ我が家にやってきた小さな太陽はその空気を物ともせず、父が第一候補としていた名前をもらってマイペースに過ごしている。先代猫は結構人の顔色を見るタイプの猫らしからぬ猫であったが、里親さん曰く「空気を読もうとしない」性格の仔猫は母一人で暮らすには広すぎる部屋中を悠々と駆け回っており、おかげで母も少しずつ気が紛れているらしい。毎週実家に帰るわけにもいかないので実の娘としては非常に助かっている。このまま猫がめちゃめちゃ気に入られて遺言書とかに書かれて、遺産相続の権利がいつのまにか私から猫に移っていてもあまり文句は言えないと思った。

 

あれからまだ半年も経っていないのが不思議なくらい、いろいろあった数ヶ月だった。
最近、父が亡くなってから初めて夢で父を見た。理由は全然思い出せないが、なぜか私たちはめちゃくちゃ口論していた。
起きてからなんでやねん久々なんだから仲良くあれと思ったが、まあ一度も親子喧嘩というものをしたことがなかったしやってみたかったのかもなと少し笑って、少し泣いた。
父が亡くなる前日に手に入れた、私の好きな歌手のアルバムの中の一曲に「人が宣う地獄の先にこそ私は春を見る」という一節がある。別にこんなシチュエーションに合わせた曲ではないだろうに、自分の心情に妙に合う歌詞に励まされて繰り返し聞いては自分に言い聞かせた。

今はまだ、春はまだ見えない。けれど雪解けの気配は徐々に見えてきた。来年は少しずつ、また歩き出せたらいいと思う。

咳をしても一人(と、猫)

久しぶりのがっつり体調不良であった。

 

始まりは旦那が体調不良になったことである。

風邪ひいた!と宣言してベッドに潜り込んだ旦那を見守りつつ、

その時はまだ全然元気だった私は「そうなんだ!お大事に!」と言いながらゴムハンマーを振り回し、2日前に届いたばかりの棚をご機嫌で組み立てていた。ちょっと元気すぎる。

2日経っても旦那の熱が下がらなかったので病院に行ったら「あ、インフルエンザですね」と言われた。インフルエンザだったの?!

しばし旦那の看病をしていたが、旦那が全快する前に今度は私の具合が悪くなってきた。まあそうなりますわな、これは9割インフルですわと思いつつ、仕事を休むためには一応医師の診断がいるだろうと思い、症状があると伝えた上で病院に行って検査を受けた。

「インフルエンザじゃないですね。ただの風邪です」

インフルエンザじゃないの?!!旦那がインフルエンザだった時よりびっくりしたが、まあ確かに旦那も医師の診断を受けた時点でもうあまりウイルスが強く出てはいないとは言われていたので今更感染らないかぁ、ほな違うかぁ、と首を傾げながら帰宅した。ていうか前ニュージーランドに居た時もこんなことがなかったか。彼が先にコロナにかかり、私はずっと陰性で、最後の最後に陽性になったことが。またお前からもらうんかいチクショウ!いや致し方ないけれど。

体調は悪かったがインフル診断をもらうことには失敗したので、熱が下がったら一応仕事には行ってみたが、咳をするでもなく鼻を啜るでもなくただ静かに仕事をしていたら「顔色が悪すぎる。絶対にただの風邪じゃない」と言われて早退した。自覚はあったがそんなにか。

まあ診断もキットを用いたものだったし絶対ではないかもしれないな、あとはインフルじゃなくてコロナだったとかもありえるな、などと思いながら私は再度病院を予約して、今度はコロナの検査を受けた。結果は「コロナじゃないですね」だった。「今流行りのマイコプラズマ肺炎とかでもないです。ただの風邪ですね」だそうだ。もう「そうなんですね……」というほかない。嘘だろこんなにキツいのに。いやまあ良かったといえば良かったけれど。

 

とりあえず感染力の強いウイルスではないらしいことを確認した私はその後、自分の家ではなく実家に向かっていた。2週間前から親に、旅行に行くからと猫の世話を頼まれていたのである。

2ヶ月前からうちにやってきた保護猫は会うたびに私のことを忘れているので、いつも一旦「あんたダレ?!」という顔になってクローゼットの奥に引きこもる。しかし打ち解けるのも早いので、クローゼットの中に入って行って撫で回すとすぐに「え〜あたしのこと撫でるのうまぁい」とゴロゴロ爆速で喉を鳴らしながら液体になってでろんと滑り出てくるのだ。

 

普段だったらすぐにクローゼットに直行して猫に気に入られようとするところだが、この日の私にそんな余裕はなかった。よく考えたら体調がヤバい時に旦那もいない完全に一人(一応猫はいる)の空間に寝泊まりするというのはけっこう危険なのではなかろうか、と直前にコンビニに立ち寄りながら気づいたがもう遅い。とりあえずバナナや親子丼、うどんなど現状自分が食べられそうなものを買って実家に足を踏み入れた。最初居間でくつろいでいた猫は私を見るなり目をぱちぱちして「アラちょっと失礼、用事を思い出しましたわ」という感じでそそくさとクローゼットへ向かい、それきり姿を見せなくなった。私の家になんか知らん人間が来た怖っと思っているに違いない。

猫のトイレを掃除し、ごはんを準備し、夕飯をなんとか半分ほど食べてギブアップして薬を飲み、シャワーを浴びてさっさと布団に入って休むことにする。普段だったらシャワーと就寝の合間に猫とおもちゃで遊ぶ時間が入るが、この日の私にそんな余裕はなかった(2回目)。申し訳ありませんが本日は最低限のサービスとさせて頂きます、と頭の中で猫にお辞儀しながら目を閉じて私は眠った。猫の世話をする、自分の体調も守る、両方しなきゃいけないのが「大人」の辛いところだなと私の中のブチャラティが言ったが、内容としてはごく当たり前のことである。

 

次に目が覚めたのが何時ごろだったのか、詳しく覚えてはいない。覚えてはいないが、起きた瞬間になんとなく胃がムカムカして、ああ吐くかもしれないな、と思いつつ慎重に起き上がった。普段お酒を飲まない私にとって「吐く」という行為はだいぶ異常事態である。いやしかしそもそもそんなに今日は食べていないのだからタスクはそんなにキツくなかろう、頑張れ私の胃、などと言い聞かせながら目を閉じ、慎重に深呼吸をしていたらだんだん吐き気が治まってきた。おお何とか大丈夫そうだな、と息を吐き目をあけた瞬間である。

暗闇の中、いつの間にか入ってきた猫が何とも言えない顔でこちらをじっと見上げていた。

彼女は口を絶妙にちょっとだけ開けて目をまん丸にして、

「え、ごはん係のニンゲン思ったよりヤバそうでワロタ」という顔をしていた。

普段なら「え〜どうしたのぉ↑↑」などと猫撫で声を出しているところだが、今まさに吐き気を抑えたばかりの私はただ真顔で猫を見つめた。他人事だろうがワロている場合ではない、私がいよいよ動けなくなったらお前もご飯が食べられないのだぞ、分かっているか。

 

いつもなら擦り寄ってくるはずの私が真顔で黙っている様子に流石に何かを感じ取ったのか、彼女は足側から私のベッドにぽんと飛び乗ると実に慎重に壁際を歩いてほとんどベッドを揺らさず私の枕元にたどり着き、モゾモゾと私の枕の横に丸くなった。え、すごい。なんか様子見ようとしてくれてる。

その日はそのまま猫と一緒に寝た。起きたら猫はまだ枕元にいて、「やあ、起きたかい?」と言わんばかりの流し目で私を見た。やだかっこいい。謎の自信に満ちたその表情が妙にイケメンに見えて、さながら乙女ゲームのスチルかと思った(※メスです)。

その日もあまり食欲がなく私は大して食べられはしなかったが、昨晩の恩に報いるため猫のご飯と水交換とトイレ掃除だけはこまめに心がけ、あとはほとんど椅子の上かベッドの上で過ごした。猫は私が椅子にいる時は膝の上、ベッドにいるときは枕元にいてくれていた。猫の面倒を見に実家まで来たはずが、完全に私が面倒を見られている。ご迷惑をおかけして本当にすいません。

その日の深夜に帰ってきた母にとりあえずインフルやコロナではないらしいことを説明し、私は再びさっさと寝た。ごはん係をもう一人確保したと見るやいなや猫は部屋に来なくなった。ゲンキンな奴めとは思うが、昨日から今日にかけて結構心の支えになってもらっていたので文句を言える身分ではない。

 

翌日は自分の家に戻って療養した。仕事にも復帰したが、今度は咳が止まらなくなり、今頃ただの風邪っぽくなってきやがったな……としばらく様子を見ていたのだが一向によくならない。そして咳は出るが別に喉は全く痛くない。体調が悪化してから2週間経っても咳のペースは依然変わらず、これは喉というより肺の問題では?とうっすら思い始めた矢先、友人の一人が「私も最近肺炎になってさ……」と教えてくれた症状が私と全く一緒であったため、これは風邪をこじらせて肺炎になったパターンか⁈と思いネットで調べていると、「肺炎は自然に治癒するのを待つより病院に行くべきである」という記述をいくつか見た。

そういうことなら病院アゲインか、と思いつつ再び病院に行ったところ、撮りたてのレントゲンを眺めながら医者は言った。

「ただの風邪ですね」

これが漫才ならば「いやもういいよ!どうもありがとうございました!」といってボケとツッコミが舞台袖に捌けていく場面である。いやまあ大変な病気じゃなくて良かったし、体調に関して自己判断はするべきでないと信じているので今回の病院費用も別に無駄ではなかったけれど、さすがに1ヶ月の間に3回も病院に行ってただの風邪を強固に証明する羽目になったのはちょっと笑った。声を大にして言いますね、もうこれはただの風邪です。

どうもありがとうございました。(舞台袖に撤退)

 

現在地は日本です

久しぶりにブログでも書いてみっかと開いたら、どうやら私はまだニュージーランドにいることになっていた。

最後の記事が2022年の9月なので、2年以上前ですね。この2年の間に私はニュージーランドから日本に帰国して、就職して結婚して仕事をやめて別の会社に就職して恋人のビザ手続きをして引っ越しをして親を亡くして猫を迎えて、就職離職引っ越し冠婚葬祭とライフイベント詰め込みすぎな日々を過ごしておりました。2年の濃さよ。人生ゲームみたいな速度で実際の人生が進んどる。

日本に帰ってきてからも相変わらずバタバタと日々を過ごしておりますので、忙しい毎日の中で楽しかったことや覚えておきたいことをまた残せたらいいわねと思って再び戻ってきた次第です。書かないと忘れてしまうので。

毎回イラストにするほど映える絵がある話になるかは分からないので基本は文字のみの予定ですが、多分たまにイラストも添えます、挿し絵的な感じで。

ではまた、どうぞよろしくお願いします。

 

引きこもり色白女が絶景アイランドに旅行した話

3日目は今回の旅行のメインとも言える、アイツタキ半日ツアーである。
クック諸島に行ったらアイツタキには絶対行かないと‼︎と色々なところで書かれていたのでとりあえず日程に組み込んだのだが、大正解であった。先人の言うことは聞くに限る。
とにかく綺麗な島だったので、今回はイラストよりも写真多め(※当社比)でお届けする。

アイツタキ島はラロトンガ空港から小型ジェット機で40分ほど飛んだところにある。40分ってまぁまぁあるなー、と思いつつ窓から外を眺めていたら、ちょうど雨上がりで虹がかかったアイツタキ島が見えてきた。



こ れ は 絶 景 の 予 感 ‼︎

出だしから虹背負ってるとは思わなんだ。ちょうど雨上がりというタイミングの良さも含め、この島ではなにか素晴らしいことが起きそうな感じがする。アニメ24話のラストで初回オープニング曲が流れた時並みのワクワク感があるではないか。一体何を言っているんだ私は。


とにかく小型ジェットから降りて、今度は小型のオープンバスに乗りながら島を見て回る。小さくて素朴な島であることは変わりないが、全体的に小綺麗で、高級コンドミニアムらしきものも多い。ハネムーンに人気だというのも頷ける。
そのあとは船に乗って、周囲の小島を巡りながら船上ブッフェを楽しむ。海の透明度がプール並みに高いので、船の上からでも海を泳ぐカメがくっきりと見えるほどだ。


ちなみにこのツアー、シュノーケル道具は貸し出しだしランチも飲み物もついていて料金も前払いなので、水着を最初から着ていけば持ち物はほぼ不要である。シュノーケルスポットに到着したら船が止まるので、ゴーグルや足ビレを貸りて船からそのまま海にドボンと飛び込める。なんだこれは最高か!海に飛び込んでいく人たちの笑顔がキラキラしている。私もキラキラしよ!とはしゃいで海に飛び込みかけたが、直前で自分の水泳スキルを思い出し、いったん浮き棒を借りてから真顔で足先から慎重に入った。ダサくて結構、安全第一である。

私は小学生時代から「寒い」というシンプルな理由でプールの授業が本当に嫌いだったのだが、水温は快適、魚も多くものすごく快適なシュノーケリングだった。しかも陸に上がれば太陽がぽかぽかですぐ乾く。こんなんなんぼ海に入ってもいいですからね、と私の心の中で芸人が話しかけてきたが、その通りである。こんなん何回でも入りたい。
途中上陸する島もザ・南国、という感じの島々で、現地ガイドのお兄さんにココナッツの割り方などを見せてもらいつつ楽しく過ごした。船の上ではスタッフ達がウクレレのような楽器を演奏しながら歌を歌い、最後まで楽しんでツアーを終わることができた。アイツタキ島ツアー、控えめに言って最高である。


夕方、小型ジェットに乗ってラロトンガ空港に到着し、そこからタクシーで今度はポリネシアンダンスのブッフェ会場へ向かう。本当はダンスとツアーは別日に組んでいたのだが、我々の行った時期はまだお客さんが少ない時だったので、観客席の都合で日程が変更になり、急遽盛りだくさんな1日となってしまったのだ。
ダンスショーは素晴らしかった。島の男性たちの打楽器に合わせた大迫力の踊りと、女性たちのフラダンスのような優雅な動き、それを照らすカラフルな照明も合わさって圧巻のステージであった。クック諸島に旅行に行くのであれば、アイツタキへのツアーと併せてポリネシアンダンスショーもぜひおすすめしたい。

翌日は特に予定のない自由日にしていたのだが、道中看板で見かけた「ナイトSUP」という看板が気になってホテルに帰ってから予約してみた。夕方からサップ(ボードに乗ってオールのようなものを漕ぐアレである)を漕ぐのだが、写真を見るとボード下に何やらライトが付いており、夜になると青く光りながら水に浮かんでいるのである。
明かりの少ない島で夜に海に浮かぼうものなら誰かが万一水中に落ちても見えないため、普通に安全のためにライトをつけたのだとは思うが、「足元が青く光るなんてFFっぽくて最高じゃん!ヒュウ!」と単純な私はすぐに予約した。現在進行形の厨二病である。


さて予約した時はさっぱり忘れていたのだが、私は体幹がヒョロヒョロである。運動神経も悪ければバランス感覚もなく、昔やっていたWii Fitには定期的に「体が ふらふらしています」と怒られていた体幹の持ち主なのである。青い光に飛び込む虫のような勢いで予約をしたが、揺れ動く海の上でボードに立つことなんて果たしてできるのだろうか。現地に行ってボードを見下ろし、私は初めて不安になった。遅い。

結果として、ボードに立つことはできた。海に落ちることもなかった。が、盛大に出遅れた。他のグループが対岸の小島に到着し始めている時、私は今来た島と今から行く島のちょうど中間にいて、生まれたてのヤギ並みに足をガクガクさせながらオールにしがみついてメェェと泣いていた。

ていうかワタクシ未経験って言ったのに颯爽と置いていかれましたけど‼︎ 普通スタッフ2人以上居たら最前と最後尾に付くもんじゃないですか⁈ 誰か助けて‼︎メェェ‼︎
ちなみに同じくサップ初心者だったはずの友人は速やかにコツを掴んでスゥッと進んで行き、膝を震わせる私を発見して方向転換しまたオールを漕いで戻り心配してくれる余裕すらあった。同じ初心者スタートでこの差はなんなの⁈メェェ‼︎
途中スタッフが1人来てくれたと思ったら、スマイル!と微笑みながらカメラを構えてきた。こちとら撮影用の顔を作るどころではなかったが何とか笑顔を捻り出したら、親指をグッとやってまた消えて行った。だから助けてってば‼︎


その後ボロボロになりながら小島にたどり着いた。先頭集団をかなり待たせてしまったはずだが、皆ボロボロのヤギを温かく迎えいれてくれた。そこからしばらく島を散歩し、スタッフによるファイヤーショーも楽しみ、完全に周囲が暗くなってから再びサップに乗って元の島へ戻る。
この時初めて多少の余裕が生まれて下を見た。ライトに照らされた海は青く光り、たまに通り抜けていく魚を照らす。上を見れば街灯やネオンライトに邪魔されない満点の星空がある。
あれ、これもしかして厨二病じゃなくても最高なのでは?
思ったよりめちゃくちゃロマンティックなのでは??

帰りはそこまで先頭に遅れを取らずにオールを漕いでいけた。なるほどこれはハマる人がいるのも頷ける。慣れてきたらなかなか楽しい。厨二病心で予約したナイトサップだったが、期待以上の夜となった。

翌日はお土産屋を回り、夜の飛行機でニュージーランドに帰国した。ちなみにその日はまたナイトマーケットがあると滞在中のホテルのスタッフから聞いたので、ピザ屋のおじさんにお礼を言いに行こうかとマーケット開始時刻まで近くの海辺でナマコを眺めながら時間をつぶしていたのだが、結局ナイトマーケットはやっておらず、最終日の貴重な数時間をナマコで潰すというまさかの展開となった。ないものを待っていたパターン2回目である。スタッフゥーーー!!となったがまあ仕方がない。今やそれも良い思い出である。ナマコ意外とかわいかったし。

クック諸島は私の中で、またぜひ行きたい場所の一つとなった。
お金を貯めて、また優しい島の人々と犬たちに会いに行きたい。

引きこもり色白女が絶景アイランドに旅行した話

バタついている間にだいぶ間が空いてしまった。
5月〜7月の間にクック諸島への旅行・NZへの帰国・日本への帰国・沖縄への旅行と色々あり、最終的に8月現在アルゼンチンにてこのブログを更新しているのだが、順に1つずつ書いていきたい。


さて、NZがかなり肌寒くなった5月下旬のことである。
NZから帰る前にどこか少しくらい旅行をしたいね、ということで、友人と話し合ってクック諸島に行くことにした。
NZから飛行機で4時間弱ほどで、とにかく海が綺麗、かつ年中ベストシーズンとも言われるほど温暖な島だそうで、以前ガイドブックか何かで見かけて以来ずっとひっそり行きたいと思っていた場所である。
コロナ禍になってからはファームやらシティやら往復に精一杯で旅行どころではなかったので、ワーホリ3年目にして最初で最後の本格的な旅行となった。
今回はまず、その話を書いていきたい。


当初は3泊4日、火曜の朝9時出発で昼の15時前に到着し、金曜の夜に帰国する予定でいた。
あまりお金が無いながらも精一杯現地を満喫するための朝出発&夜帰国プランである。
職場のマネージャーには火曜〜金曜日の4日間の休みを伝えて了解を得ていたのだが、
その後オーナーに何気なく旅行のことを伝えたところ、

クック諸島いいね〜!私たちが行った時は時差のこと考えてなくて危うく初日宿無しになるとこだったの、気をつけてね!」

と言われて(エ…?JISA…?)と真顔になりつつそっとチケットを確認してみたところ、なるほど我々は火曜の朝9時に出発し、月曜の15時前に着くことになっていた。まさかの時差22時間である。
ちょうど両国の間に日付変更線がある為こんな事態になっているのだが、日本とNZ間は13時間のフライトで時差3時間なのを無意識に基準にしていたので、フライト時間が4時間弱で時差が22時間あるなど考えてもみなかったし、よもや到着日が違うことに気づきもしなかったわけだが、まあフライト時間だけを見ていたにしても朝9時発→15時前着だと5時間半以上飛行機に乗っていることになるはずなので、シンプルに洞察力と算数力の欠如でしかない。
コロナ出現後初の海外旅行ということで、提出書類や陰性証明書の有無などは友人と再三確認しあっていたのだが、時差というコロナ禍以前からもあった当然の概念をすっかり忘れ去っていた。敵はウイルスより先に己のアホさ加減であった。

 

そしてこの時差は当然帰りも適応される。チケットに書かれている曜日は現地出発時の曜日であって、つまり金曜の夕方にクック諸島を出たらニュージーランドに到着するのは土曜日の夜中。つまり当初の予定であった「火曜朝に出発〜金曜夜に帰国の3泊4日ツアー」は「火曜朝に出発して月曜昼に到着〜金曜夕方に現地発で土曜夜着の4泊6日ツアー」という、字面だけ見たら矛盾だらけのプランに変更となったのだ。宿泊日が増えてしまったので現地でのホテル宿泊も予定より増えるし、金曜帰国予定も実際は土曜日だったため職場にもう1日休みを申請せねばならない。既に出発前からバタバタである。大丈夫なのか序盤からこんな感じで。

 

出発当日、早朝から飛行機に乗り込んでいざ出発である。クック諸島はハワイのようにいくつかの小島が連なる島々の総称で、国際空港はその中のラロトンガ島にしかない。またNZとクック諸島間はコロナ陰性結果証明書等は必要なく(2022年5月下旬時点)、島に入るにあたっては事前にスマートフォンから情報を登録しておけば追加書類は必要ない。
…とはいえ機内で渡される「携帯品・別送品申告書(黄色っぽくて細長いアレだ)」は変わらず記入が必要である。私は機内で受け取って流れるように座席シートポケットに差し込み約2分後に爆睡しはじめ、そのまま機内に置き忘れた。結果、屈強そうな係員に横に連れて行かれて新しく書かされた。完全に出来の悪い生徒の居残り勉強の図である。ちなみに出来の悪い生徒すぎてペンの一本も持っておらず、その場で屈強そうな係員に借りた。やさしい。そして本当にすいません。
さっきから私が躓いているのはずっと、コロナが広がる前から海外旅行には必ずあるものだけである。本当に大丈夫なのか序盤からこんな感じで。

初日はラロトンガ島の空港近くの格安ロッジに泊まることになっていたので、とりあえずそこに行ってまず荷物を置く。早朝出発のおかげでまだまだ時間はたっぷりある。天気もいいしいざ散歩に参らん!とワックワクで行き先を調べようとした我々は、手持ちのスマホで検索しようとしてふと気がついた。


Wi-Fiが入らねぇ。

繰り返すが、飛行機で4時間以内に着くとはいえここは海外である。通貨はそのままNZドルが使えるし使用言語もNZと同じ英語だがここは海外である。通貨が共通でも、国が違えばSIMカードは異なる。かつ島にスタバやマックのようなフリーWi-Fiを提供している場所があるかは未知数である。こちとらスマホの使いすぎでストレートネックや肩こりに悩み始め、その対策動画を背中を丸めてyoutubeで眺めつつなるほど〜と言いながらまさにその瞬間ストレートネックを悪化させているような人間なのだ。フリーWi-Fiがなければ新しく情報を調べることもできないし、事前にブックマークしていた情報ページすら見られない。かつ安さと空港からの近さだけで選んだような宿のため、受付もなければマップもなく、疑問を聞けるスタッフもいない。さっきまで輝いていたワクワクフェイス×2は一転してアセアセフェイス×2になった。令和4年にこんなに丸腰なことってあるんだ。


未知のエリアで情報ゼロの丸腰スタートかつマップなしとなった我々は、とりあえずマップ開拓をすべく日焼け止めだけ塗って外に出た。空港では1時間フリーWi-Fiが使えたので、いったん空港まですごすご戻り情報を調べる。
島唯一の回線であるボーダフォンのショップが島の中心にあるようだったので、とりあえずそこまで行ってSIMカードでももらってくるかと思い、目の前のホテルの受付で聞くとここから歩いて15分くらいだとのこと。手書きの地図を渡してくれたので、それを頼りに道を進む。分かれ道は数えるほどしかないので、迷うことは基本的にないはずである。

途中、5匹くらい犬に会った。野犬なのか飼い犬なのかよくわからない犬がそれぞれ縄張りを守っているが、どの犬も大変フレンドリーで、吠えたり暴れたりはしない。ゆっくり尻尾を振ってこちらを見つめ、特に反応がなければ少し距離を取りつつ縄張りを出るまで一緒に歩き、好意的な反応があれば撫でてもらいに近寄ってくる、という感じである。最初は海外の野犬ということもあり少し怖かったが、無理には近寄ってこないことが分かりすぐに慣れた。島の人も犬が来たからといって近寄ることもなければ邪険にもしない。人間と犬、一緒に暮らすのが当たり前、という感じである。島の暮らしっぽい。(大味な感想)

そして犬に癒されながらボーダフォンショップに着いた頃には、なぜか40分以上が経過していた。
いやじゃあ15分は嘘すぎるだろ。
でも島の人々は恐らく車生活が当たり前なので、リゾート地まで来て車もWi-Fiもない状態で全てを徒歩で済まそうとする観光客への案内はあまり慣れていないのかもしれない。これもまた我々が悪いのかもしれない。海外で運転できる自信がない者はそのくらいの不便や不運は享受すべきなのかもしれない。
そしてやっとこさ辿り着いたショップは到着時点で閉店時間を5分ほど過ぎており、店は普通に閉店していた。嗚呼我が人生、である。
しょんぼりしながらまた同じ道のりを40分かけて帰宅し、宿泊場所の目の前にある別のホテルで夕食を取った。明日からのホテルにはWi-Fiがあることを切に願った。


翌日チェックアウトを終えた後、またもやWi-Fiをもらいに我々は空港に向かった。もはやWi-Fi乞食である。
島には時計回りのバスが13:00、14:00、15:00…と1時間ごとに、反時計回りのバスが13:30、14:30、15:30…とこちらも1時間ごとにそれぞれ走っているとのこと。どちらも空港を起点に一周するので結局同じバス停を巡ることになる。行きたい場所が島の右側か左側かでどちらのバスに乗るか決めればいいわけだが、賃金は一律なので初回は反対側のバスに乗ってあえて遠回りをしながら窓の外を眺めるのも観光がてら良いかもね、という話になり、我々はバスに乗ってぐるりと島を一周しながらホテルに向かった。

次のホテルはとても良いところだった。宿泊者専用のプールはあるし、朝食もついているし、部屋は綺麗でおまけにかわいい猫もいる。課金制だがWi-Fiもあるし、そして受付に人がいる。念願のシチュエーションに我々は涙を流し、そして実感した。ホテル代はやはりケチるものではない。

部屋に入って荷物を置き、ホテルの施設にしばしキャッキャとはしゃいだあと、島のマーケットについて受付に聞きに行った。なんでもラロトンガ島の有名なビーチであるムリビーチで週何回かナイトマーケットが、そのほかの場所でも朝のマーケットが行われているらしい。島の市場とか素敵なものがありそうじゃな〜いキャッキャ!と到着そのままのテンションで聞きに行った我々は、朝に弱い己を鑑みて朝のマーケットは早々に諦め、その日の夜行われるらしいナイトマーケットに行くことにした。

ナイトマーケットは20時過ぎくらいまで行われていて、我々は確か19時半くらいに行ったのだが、すでにやや終了の気配が漂っていた。とはいえまだ数店舗はやっていたし、私たちのお腹を満たすには十分である。日頃ガーリック嫌いの恋人に配慮して食べられないガーリックシュリンプを心ゆくまで満喫し、私は大満足であった。
帰りのバスを失うまでは。

我々はその日、「バスは2ルートある」とその日の午前中に学習していた。そしてホテルまで最短で行けるルートAのほうのバスをバス停で待っていた。ルートBのバスが1回来たが、「あれ〜違うねぇ」と言いながら流していた。その後不安そうな友人に「もしや夜になるとダイヤが変わるのでは?」と言われ、近くのショップの人にも一応バスがまだあるかどうか聞きに行くと、「バスはよく遅れるからね〜」と言われた。それは島の一般論であり絶妙に答えになっていない気もしたが、そのまますごすご引き返す。

そうこうしているうちに1時間経ち、ナイトマーケットの店も全員撤収を始めた。1時間半近く経ち、「もう次来たらルートAだろうがBだろうが乗ろう」と話していたのだがどちらも来ない。事前に得ていた情報では終バスの時間ではまだないはずだが、相変わらずホテルの外ではWi-Fi難民なので検索もできず確信も揺らいでいく。1時間半もしたら普通はAもBも2本ずつ来ているはずなのだ。ただ暗闇に突っ立っているだけの人間2体を心配してか犬が何匹か近くに来たが、もはやそれすらちょっと恐怖である。せっかく良いホテルになったと思ったらまさかの…このまま…犬と雑魚寝…⁈
お腹も膨れており外は快適な気温だったので危機感がだいぶ薄くはあったが、周囲に人気はなくなりバスも来ずインターネットも使えず暗がりに平和ボケした日本人2人+野良犬2匹、とは文字で並べるとまあまあヤバい状況ではある。ただし星は綺麗だった。

犬と一緒に悲しみの遠吠えでもしてやろうかと思い出した頃、ナイトマーケットで最後まで残っていたピザ屋のおじいちゃんがついにマーケット会場の照明を消した。あっ遂に誰もいなくなるのね…と思ったら、そのままおじいちゃんが近づいてきて、我々を車にのせてホテルまで送り届けてくれた。突如神降臨である。しかも我々は両方ピザを買っていないのに。数時間前の自分を叱りとばしたい。なにをガーリックシュリンプを食べているのか。そこはピザだろうが!
ちなみにこの島の治安の良さと、相手がおじいちゃんでありこちらが2人であること、そしてこの状況から今回は車に乗ったのだが、普通海外で(というか日本でも)知らない人の車に乗ってはいけない。良い子は真似しないように。というかそもそも良い子は見知らぬ土地でWi-Fiもない状況で呑気に1時間半もバスを待たないように。

そして途中、一台バスとすれ違った。ルートBのバスである。
今?!
この渋滞もなにもない島でアンタどこに遅れる要素があるのよォ!と思ったがまあ仕方がない。とにかくルートBは普通に遅れていただけだった。


おじいちゃんに土下座の勢いでお礼を言って、半ば無理やり心ばかりのお金を渡してホテルに無事到着した。そのあと調べたところによると、バスのダイヤは変わっていなかったものの2本あったバスのルートが夕方からは1本になっていた。
つまり我々が探していたルートAのバスはその時間、もう無かったのである。我々は存在しないものを野犬と共に待っていたのである。あそこで1本来たバスを見送ったことが致命的であったのだ。もうバス自体が1時間に1本しか来ないのだから。


色々と疲れ切って、その日はそのあと即座に寝た。良いホテルのベッドは我々の徒労を優しく包み込んでくれた。繰り返すが、ホテル代はやはりケチるものではない。
次からは、この旅行のメインとも言える「3日目・アイツタキ島」を含む後編をお送りする。

ワーホリ延長女のちょっと怖かったある夜のお話


私が海外に行く際、最も重視するのは「治安」である。


綺麗な景色も美味しい食べ物も物価も大事だけれど、方向音痴な自分が安全に生き残るためにはなによりも治安が第一だ。欲を言えばふらっと歩いてポケモンGOとかもしたい。
しかし方向音痴な上に腕力がゴミかつコイキング並みにボーッとした顔をしている自覚があるので、うっかり治安が悪い路地などに迷い込んだらむしろこちらが捕獲される側になりかねない。コイキング顔した個体値低めのカモネギ、どう考えても普通のモンスターボールで一発ゲットだぜ、という危機感だけは辛うじてあった。
その結果、昔から選択する旅行先が「アイスランド」「マルタ共和国」などになり、友人たちに散々「それどこ?そして何故?」と言われてきた。ちなみに両国とも期待を裏切らない治安のよさで大満足の旅行となったが、治安とは関係のない私が勝手に巻き起こしたハプニングはたくさんあったので、この旅行記もいつか書く。平和な場所でもセルフで色々引き起こすのだから、危険な場所で色々引き起こしていたら心臓がいくつあっても足りない。

今回ニュージーランドをワーホリ先に選んだのも第一の理由は治安の良さだった。現在に至るまで今のところそこまで危機を感じた瞬間はないが、今月一瞬ヒヤリとした(※先に言っておくが最終的に治安は関係なかった)出来事があったので書いておく。

 

コロナから回復してからというもの、1ヶ月ほど私はなかなか寝付けないことに悩まされていた。
後遺症というやつかもしれない。ちなみに頭痛も定期的にあって、薬を飲んでからじゃないと皿洗いすらしんどい時もあった。
ネットで調べてみたところ、「コロナの後遺症は全200種類以上!」と妙に明るめな文章が出てきて肩を落とした。集め甲斐のあるおまけのシールみたいな言い方をするな。ちなみにコロナの後からなぜか職場の人たちと定期的にやっていたスマブラの勝率もかなり下がっていたが、もうそれもまとめて後遺症だと言い張った。200種類以上もあるならどこかにスマブラの勝率に関わる症状もあるだろう。(多分ない)


話を戻して私がなかなか寝付けなかった件だが、具体的に言うと電気を消して布団に潜ってから毎日2時間くらいただ目をカッ開いて天井を見つめて過ごしていた。同じくコロナだった彼氏は隣でスピスピ寝ていたのだが、私だけが寝れなかった。男性の方がコロナ発症時の症状は重めだが後遺症は軽め、という記事も見た。全体としての真偽は不明だが、少なくとも我々のケースはその通りとなったようであった。
そんなわけでしばらくややしんどめの日々を過ごしていたのだが、ある日珍しくスッと入眠できた日があった。(なぁんか今日はいい感じに眠れそうな気がする!)と思った5分後くらいにはもう寝ていたと思う。わあ良かった良かった、と薄れゆく意識の中で思った。明日はきっといい日になるよね、ハム太郎。と脳内でロコちゃんの声がした。

 


その数時間後。
私は自分の部屋のドアが開く音で目が覚めた。

最初は恋人がトイレにでも行ったのかと思っていた。
しかしその直後、隣から「Hey what are you doing?」という恋人の声が聞こえたのである。隣から。
そしてドアのほうを見ると、暗闇の中で誰かが立っていたのである。

キャー‼︎と心霊番組だったらSEが入る場面だが、私はびっくりすると声が出なくなるタイプなので完全に真顔かつ無言のままドアを見ていた。これがゾンビ映画名探偵コナンジョジョの奇妙な冒険だったら我々は「キャー‼︎」のSEの後に無力なモブとして即死んでいただろう。こちらも暗いし廊下も暗めなので誰なのかはわからなかったが、とりあえず手元に武器的なものは持っていないことだけはうっすら分かったので、その人物を注視しつつもやりとりは一旦恋人に任せ、自分は「背後の窓って人が逃げられる程度には開くんだっけ?」等と逃走経路を考えることにした。冷静に見せかけた現実逃避である。頑張れ恋人。


暗闇の中に立っている人物は、扉こそ開けたものの中には入ってこず、ただぼんやり立っていた。余計に不気味である。
隣の恋人がもう一度「What are you doing?」と問いかけると、何かモゴモゴ答えはしたが聞き取れはしなかった。しかしその声で、これは隣の部屋のフラットメイトだと分かった。しかし分かったところでなぁんだ良かった☆とはならない。未知の恐怖が身近な恐怖に変わっただけである。フラットメイトであっても夜中に部屋のドアを開けられて暗闇の中でただ無言で立たれるのは普通に怖い。
「Are you sleeping?」と言いながらとりあえず恋人が立ち上がり、そのままフラットメイトを廊下まで押し出して扉を閉めた。すごい怖い割には普通に素直に押し出されていった……と呆然としつつ扉の外の気配に耳をすませていたら、その後は別のドアを閉める音がした。どうやらトイレに行ったらしい。
しばらくしてまたドアの音がして、今度は隣の部屋に無事戻った音がした。全然よくわからなかったが、おそらく夢遊病か酔っ払いかどちらかだろうと我々は結論づけた。隣の恋人は「こんなの安心して眠れないよ」ともっともな不満を呟いていたが、私はそれに同意したあと割とすぐに普通に寝た。裏切ってごめん。我ながらあまりに繊細とはかけ離れた自分にたまにびっくりする。

 

翌朝、案の定あまり眠れなかった恋人が元気なく仕事に出かけて行った後。さすがに今回のは一旦報告すべきでは、と思ってフラットオーナーに昨夜あったことを伝えると、洗面所の横の部屋で寝ているオーナー夫婦は仰天し、
「私たちも夜誰かが洗面所の床を執拗にクイックルワイパーかけてる音がして目が覚めて、でも音はするのに洗面所の明かりはついてないし、おかしいなあと思ってたら洗面所と繋がってる引き戸が急に空いて、手だけがヌッと一瞬見えて、またすぐ引き戸がしまったの…お化けかと思ってた…」と言ってきた。
下手したら我々より怖いな!!!そして私が報告しなかったらお化けとして処理しようとしてたんかい!でも確かに手だけ見えるというのは全身見えるより怖いかもしれない。せめてもの救いは、暗闇でクイックルワイパーかけてる幽霊ってなんか綺麗好きっぽいねという点くらいである。これを救いとしてカウントしていいのかわからないが。

 

2組が被害(?)に遭っているため、何があったのかだけでも確認した方がいいだろうという話になり、その後オーナーがフラットメイトの扉をノックしたのだが、なんとフラットメイトは昨晩のことをまったく覚えていなかった。昨晩酔っ払って帰宅したのは確からしいが、帰宅したあとは記憶がないという。
いや怖!!!暗闇に立ってたとか手だけ見えたとかよりもうそのお酒の力が怖い。私も恋人も普段お酒は一切飲まないので酔うことに関する知識は人並み以下なのだが、それでも酔って色んな部屋の扉を開けた挙句に洗面所で床掃除をするというのは、まあまあ特殊な酔っ払いな気がする。
普段は真面目な好青年のフラットメイトはその後めちゃめちゃ謝ってくれた。酔っ払っていたとはいえ記憶がない間にやらかしていたとは、さぞ肩身が狭かろうと思うと気の毒である。一方私の恋人は、その後数日間は誰かが夜中洗面所に立とうとドアの開閉音を立てるたびに隣でちょっと緊張していた。こちらもまた気の毒である。

 

海外に長期滞在する、となった時、ホームステイやバックパッカー、フラット等様々な選択肢があるが、利点とデメリットを考えつつ滞在先を選ぶことをお勧めする。一般的にフラットはバッパーよりは安全とされているものの、ニュージーランドでは共有スペースがあるタイプのフラットには個人の部屋に鍵がついていないことも珍しくない。貴重品は鍵をかけてスーツケースにしまっておく、などの最低限の対策はもちろん大事なのだが、今回の様に悪意がなくとも酔っ払ったフラットメイトが部屋を間違えて入ってきたりする可能性もあるのだなぁと3年目にして気づきを得た。悪意のない相手から学べたのは幸いである。治安の良い国にいても、万が一の想定はちゃんとしておこうと思った、そんな一夜であった。

ワーホリ女がワーホリ先でコロナに振り回された話

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お久しぶりです。
1月下旬からダブルワークを始め、2月は全然ブログを書く時間がなく、3月に至ってはなんとコロナにかかっていました。
私の場合は幸運にも軽症だったので風邪のような症状で済んだし別に誰の参考にもなりはしないと思いますが、記録として書いておこうと思いますのでご興味のある方はお付き合いください。

 

2月中旬。
この時はNZにもかなり感染者数が増えてきて、私もブースター接種打とうかなァと思っていた時にちょうど私の職場が1週間ホリデーとなることが知らされ、じゃあこの期間に打って副反応に備えるか、などと考えていた頃であった。
私と恋人はともに2回目までのワクチンは終えている。私は3回目の接種を希望していたが恋人は自身の3回目の接種には消極的であったため、ブースター接種は私だけが受ける予定だった。ホリデーの時にワクチンを受けたい旨を伝えると、彼は週末以外基本的に夜まで仕事をしているため、「平日に打たれると看病ができないから金曜日に打ってくれ」と言われ、私は金曜にちょうど友人とランチに鍋を食べる予定だったので、その帰りにワクチンを打つことにした。友人には「鍋やった帰りにワクチン打とうとする人、珍しいね」と言われた。多分それはそうだろう。


しかしその金曜、私が友人と会っている間に恋人から「体調が悪い気がする、コロナかもしれない」とのメッセージを受け取った。
今かよ!!!もう友達ともレストランでマスク外して喋っちゃったよ!!!
と思わなくもなかったが、まあコントロールしようもないことだから仕方がない。彼が本当にコロナで倒れている時に私がワクチンの副反応で倒れているのは違うだろと思ったので結局ワクチンは打たず、友人の勧めでドラックストアにてスポーツドリンクや冷えピタを買って帰宅した。友人に至っては自分が今まさに会っている人間に濃厚接触者疑惑が出ているというのに、わざわざドラックストアまで付き添ってくれていた。持つべきものは友である。

結局その日、恋人は調子が悪いと言っておきながらきっちり定時まで仕事をして帰宅した。日本ならいざ知らず、NZではめずらしいタイプの社畜人間である。そして翌日の土曜にはケロリとした顔でゲームをして、日曜日に「調子悪かったのは気のせいだったみたい!」と高らかに宣言した。……まあ、なによりである。心配させた友人にも報告メールをして、その時はそれで終わった。

そしてその翌週は恋人の誕生日だった。実は母国にいる恋人の家族が、彼に向けてプレゼントを1ヶ月も前から速達で送ったにもかかわらず、郵便局員の手違いでその荷物は速達でなぜかハワイに届いており、しかもこの計画はサプライズであったので私の恋人は何も知らず、彼の妹と私だけが影でやりとりをしつつアワアワしたり残念がったり毎日荷物を確認したりしており、結局誕生日までには届かなかったというなかなかのカオスっぷりを呈していた。まあ最終的にサプライズにさえなれば当日じゃなくても喜んではもらえるだろう、とりあえず届くのを待とう。

…と我々が結論づけたその数日後のことである。


「体調が悪い気がする、今日は休む!」
と宣言して彼が朝から仕事を休んだ。そのセリフ先々週も聞いたぞと思わなくもなかったが、どちらかというと仕事人間の部類なので朝から仕事を休むというのはかなり珍しいことである。先々週の事例があるのでいったん丸一日休んでもらい、翌日も具合が悪ければ検査するかなと思った。
この時点でNZの1日の新規感染者数は平均2万人であった。人口500万人しかいない国で1日につき2万人というのはなかなかのハイスピードだし、まあいつ来ても不思議ではない。PCR検査も結果まで1週間待ちと言われており、人によっては結果を待っている間に隔離期間の方が先に終わってしまうレベルである。
ただ、この頃ちょうど3月からRATテストという簡易検査が入手できるようになっていた。Webサイトか電話で事前申し込みをして、センターまで取りにいくシステムだ。翌日も彼の調子が良くならなかったので、問い合わせて簡易検査キットをもらいに行ったら計6つのキットをもらった。え?なんで6つ?と思いつつ帰宅して調べると、どうやら当日・隔離期間3日目・隔離期間10日目ぶんらしい。政府の対応もその時に応じて変わっていくので、もはや窓口では説明せず後で各自ネットを見てもらう形式を取っているとのこと。現時点で既に仕組みは変わっているかもしれないが、少なくともその時はこんな感じだった。もうだいぶ投げっぱなしである。

そして簡易検査をしたところ、彼が陽性で私が陰性だった。
今度はマジなんかい!!
と思わなくもなかったが、まああの一回の謎のフェイントも別に本人のせいではないので致し方ない。体調不良に敏感なのは特にこのご時世良いことである。お互い職場に連絡をして、フラットオーナーにも連絡をした。フラットにはオーナー夫婦ともう一人フラットメイトがいるが、陽性が一人出た時点で全員が濃厚接触者になってしまうため、全員10日間の隔離となり、仕事にはいけなくなった。買い物もできるだけ控えるようにとの指示だったが、全員10日間買い物をしないのはほぼ不可能だったので、週一回オンラインでオーダーしたものをオーナーが車で全員分スーパーまで受け取りに行ってくれた。ありがたい。

そして恋人はこの時点から部屋から出られなくなったため、私が全てを行うことになった。私は陰性だが、他に部屋の空きもないし彼と同じ部屋で過ごすわけだし同じベッドで寝るわけだし、いつ陽性になってもおかしくない。共有部分ではマスクをし、手の消毒、触ったものにも除菌スプレーをして、食器は皆のものと分け、食事は部屋にトレイで持っていく。寝るときも一応マスクをしたが、まぁあまり意味ないっちゃない。
自己隔離3日目くらいから私にも頭痛の症状が現れたため2回目のRATテストをしたのだが、結果はまたも陰性だった。あくまで簡易テストなので、2割くらいの確率で結果が間違っていることがあるらしい。とはいえ8割くらいは正しいはずなので、このタイミングでただの風邪である可能性もなくはない。だとしたら空気を読め。絶対に今じゃないだろ。彼が部屋から出られないし、私も体調が良くはないのに陽性ではないので、ヨボヨボしながら食事を作って部屋まで運んだ。ちょっとした老人介護状態である。
ちなみに鍋の時に持ち上がったコロナ疑惑で買っておいたスポーツドリンクと冷えピタだが、結局ほとんど私が使った。未知のものは食べない、飲まない、使わないのが恋人の信条であった。たとえそれが恋人である私が体調不良に効くからと差し出したものであったとしてもだ。詐欺に引っかかるリスクは低そうで何よりである。思い遣りは空振りとなりちょっと虚しい気がしなくもないが、少なくとも私の早期回復には役立ったので結果的にはあの時買っておいてよかった。私が私に救われた。


私の症状は主に喉の痛みと頭痛が3日間、鼻水と食欲不振が2日間という感じだった。彼は発熱と鼻水が2日間、あとは喉の痛みと咳がしばらく続く感じだった。しかし最初に陽性反応が出てから5日、彼の方はもうあと咳くらいかなと思っていたところで彼から「味覚がない気がする」と言われた。私が個人的にコロナで恐れていた症状がこれである。ええ…そんなの絶望やないかい…と食べるのが好きな私は勝手にショックを受けたが、元々食事にそこまで執着のない彼はあまり反応を見せず、なんなら味覚がない間であっても私よりよく食べていた。よくその状態で食欲あるな…いや良いことだけど…偉いけど…。

私の症状がピークを超えて頭痛も取れ、彼の味覚がなくなって2日が経ったところで、私が食事の準備をしていたときにフラットオーナーさんが「そういやなんか荷物届いてたよ」と大きな段ボールを持ってきた。差出先は彼の母国、そして差出人は彼の家族、中身は母国のお菓子である。
今かよ!!!!!
とこの1ヶ月何度目かわからないツッコミをしてしまった。2月後半の彼の誕生日に向けて1月の後半に速達で送られた荷物が間違ってハワイまで行ってようやくNZに届いたのが3月上旬でしかも中身が食べ物で本人は2日前から味覚を失っている!もうてんこ盛りすぎてどこからつっこんでいいのか分からない。どこからつっこんでいいのか分からないがとりあえずこれを持っていくのは今ではない気がする。フラットオーナーに事情を話していったんリビングに荷物を置かせていただき、彼の妹に相談のメッセージを送った。返信を待つ間にそのへんにあったラムネを一粒渡して食べさせてみる。唐突にラムネを一粒渡され食べろと言われ、完全に不審な顔をしつつもとりあえず食べた恋人は真顔のまま「味はしない」と言い、私は崩れ落ちた。2ヶ月かけて届いた母国のお菓子を食べるタイミング、絶対に今じゃない。

その翌日、彼の妹からの返信で「母がもう渡しちゃえばって言ってる、懐かしいもの食べたら味覚戻るかもしれないし」とあり、そんなディズニー映画みたいな展開になるか〜いと思いつつも箱を持って部屋に入った。彼は大変喜んで箱をあけ、わーい!と口に一つチョコレートを放り込み、嬉しそうにこう言った。
「あまーい!」
戻るんかい!!!!
そんなことある?!激しくずっこけたが、まあ喜ばしいことには変わりない。私のブースター接種も彼の誕生日プレゼントもコロナ発症も全てタイミングが悪いように見えたが、ブースター接種せずに買い物して帰ってきた時の品物のお陰で買い物しづらい環境下でも私は無事生きながらえたし、誕生日プレゼントが遅れたおかげで味覚もすぐに戻ったのだし、結果オーライではないか。とは言いつつやはりブースター接種を受けておいて健康に看病に集中したほうがよかったのではないかと思わなくもない。あの本コロナ前の弱めのジャブみたいなのは結局一体なんだったんだよ。

最初の発症から1週間、もうお互いすっかり平常通りに戻り、症状といえばたまに咳が出る程度のところまで来て、フラットオーナーが「もう1週間経ったし毎回ぜんぶ消毒するのも大変でしょう、君が今も陰性ならもう少し対応緩めていいんじゃない?」と余っていたRAT検査キットをくれた。そうですねえと言いながらキットを受け取り、部屋でやってみることにした。ちなみにRATテストは鼻に棒をつっこんで粘膜を取ったものを検査液に入れ、キットに垂らして15分待つ。私はこの鼻に棒を入れ粘膜を取った直後に毎回連続4回くらいクシャミが出る。
15分後にキットを見て、線が一本出ていれば陰性、二本なら陽性、0本なら測定不可でやり直しだ。さて今回の結果はと見てみると、線が二本出ていた。先述した通り、線二本の場合は陽性である。

 

もう一度言おう。
陽性である。

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今かよ!!!!!!
もう何度目か以下略。ほぼ完全に症状が収まり、オーナーさんも善意でテストを提案してくれたというのに、感染防止対応をより強化するべきな結果が出てしまった。というかこの場合、単純に2回目(体調不良時)のテスト結果が間違っていたのか、2回目にテストした時は本当にただの風邪で、抵抗力が弱ったところで彼のコロナがうつって7日目の今陽性になりかつ無症状なのか、もしくはこれからまた症状のピークがくるのか、もう全然分からない。明確に分からないぶん彼よりタチが悪い。私はここから何日間隔離なんだ???

とはいえ、NZのルール的には最初の陽性者が陽性になってから10日経ち、もう一度RATテストをして陰性だった人は他に陽性者が増えているかどうかに関わらず、自分の体調がよければ仕事に復帰できることになっていた(ちなみにこのルールは我々の隔離期間が終わる前に改正され、隔離期間が10日から7日に短縮された。隔離者が多すぎて社会インフラが回らないからである)。つまり私が今陽性になったとしても、ここから気をつけなければいけないのはもはや私一人なのである。皆は日常に戻れるのだ。な、なんかずいぶん扱いが違いませんか…い、いや皆様の日常生活のお邪魔をしなくて済むのはとても良いことなんですけれども……ゴニョゴニョ……。

そんなこんなでしばらく様子を見ていたのだが、フラットオーナーもフラットメイトも引き続き陰性で自宅待機は解除され、彼は軽い咳はたまにあるものの一足先に陰性となり、私も特にそれ以来体調が悪化することもなく、先日ついに陰性に戻った。とりあえずこれで私たちのコロナは終わった、と思って良さそうだ。幸運にも悪化はせず、身の回りにも私たち以外に感染者はいなかったが、体感としてはとても長い10日間だった。

今回一つ思ったことは、今回のように対応が日々変わるような病気が巷で流行っている場合、病院あるいは検査キットがもらえるところはどこなのか、具合が悪い時にまずどこに連絡するべきなのかを健康のうちに把握しておくことが結構重要だということだ。日本でもそうだとは思うが、特に海外にいる場合、頭痛などを抱えたまま英語のサイトを読んでも目が滑るし、電話では機械音声で「○○の症状の方は1を〜」的な案内をされて○○の部分の英単語が聞き取れずボーッとしているうちに電話が切れるし、もうとにかく症状によっては普段の3倍は英語が聞き取れないと思った方がいい。いつポンコツ化しても大丈夫なように、できる限りシンプルに「まずはここに電話、検査キットはここでもらう」等、情報を自分で整理しておいた方がいい。最終手段としては英語が喋れる日本人の友達に助けを求めることがあるが、これは迷惑をかけてしまうのであくまで最終手段である。(でも本当にしんどい時に頼れる友達がいるというのは大事なことだ、海外生活においては特に。)


さて、部屋に引きこもりっきりの状態からいきなり仕事に出たら一瞬でまた体調を崩し筋肉も死ぬ自信があるので、今から私は散歩の準備である。こちとら10日間スマブラポケモンアルセウスとFFピクセルリマスターしかやっていないのだ。バーチャルでは相当経験値を積んだが、現実世界での歩数はほぼ2桁台の日々であった。でも見えない相手と戦っていたことは事実であるわけだし、なにがしかの経験値はリアルでだってきっと貯まったはずである。と、信じたい。
ひとまずは、ほぼゼロとなった筋肉のレベル上げに勤しみます。では!