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ニュージーランドでの日々を書いています。

内弁慶が海外でホームステイする話

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「3ヶ月で挫折するかもよ」的予言を心中に抱えながら(前記事参照)、10月中旬、私はニュージーランドへやってきた。
狙ったかのようにやってきた台風をすり抜けて、なんとか飛行機は飛んだ。
普段飛行機に乗ろうとするとだいたい天災やトラブルにぶち当たりそもそも飛行機が飛ばねぇ、ということは個人的によくあることだったので、台風の予報が来た時点で(またか……)と遠い目になっていたのだが、結果今回、飛行機は飛んだ。
これが良いことだったのか悪いことだったのかは、今はまだわからない。
 
私のワーキングホリデーの目的は、
『日本で困っている外国人を助けられる程度の英語力を身につけること』だ。
NZに来る前は山奥で猿を眺めながら接客業をやっていたのだが、
(多分オリンピックの後は外国人客も増えるだろうな、だけど日本で仕事の後に英語学ぶほどの熱意は私にはないだろうな、日常の中で英語使う環境にいた方がいいだろうな、よし己を海外に放り出そう。
という論理的自己怠惰予測(?)に基づきワーホリを決めたのだった。

 
過去にフィリピンで一ヶ月だけ語学留学をしたことがある。
もちろん一ヶ月で英語をスラスラ話せるようになんてならなかったが、なんとか他の国の人たちに意思表示できるくらいにはなったので、今回も最初だけ学校に通い文法を思い出したら仕事を探して英語に慣れていこうと思い、まずは一ヶ月、語学学校に通いつつホームステイをすることにした。
こう書くと経験則から論理的に決めたように見えるかもしれないが、実際は「長期で語学学校に通えるほどの金は無い」が本音である。
えるしっているか。社会人オタクは貯金がすくない。


ワーホリ斡旋会社が手配してくれたホームステイ先は老婦人が一人で住んでいる家で、今までたくさんのワーホリ・留学生を受け入れてきたらしい。
メールでご挨拶をした際の返信はかなりサバサバした感じで、小さい子供にめちゃくちゃ質問責めにされたりとか、心配性の方に早口英語で色々聞かれたりしたら即フリーズしてしまう自信があった私は、ひとまずその心配はなさそうだとひっそり安心した。
大筋の計画が雑なわりに要所要所でチキン全開である。

 

そして初日。
言われた住所にたどり着いて玄関でソワソワしていると、

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「新しい人!今日来たの?名前はなんていうの?どこの国の人なの?……」
扉を開けて約3秒で、奥から飛び出てきた小さい子供にめちゃくちゃ質問責めにされた。
案の定、後半は早口で全然聞き取れなかった。
 
あれ?
どうやら話と違いますが?
 
沢山の荷物を持ってとりあえず咄嗟に笑顔を貼り付けたまま、私は玄関先で固まった。

ちなみに私は子供が苦手である。
遠目で見ている分には可愛いのだけど、近くに来られるとあの無垢な瞳に耐えきれなくなる。
その綺麗な瞳に私を映さないで!浄化されてしまう!ウワァー!……サァ……(成仏の音)
となってしまうのだ。
おそらくドラキュラが太陽に当たった感じをイメージしてもらえれば近い。


突然の連続質問コンボに成仏もできずひたすら動揺していると、奥からご婦人が現れてごめんなさいね、と女児を私から引っぺがした。
この方がメールでご挨拶した、ホームステイ先のオーナーだ。

話を聞くと、家には普段一人で住んでいるが娘夫婦と孫達も遠くない距離におり、特に4歳になる孫娘はよくここに泊まりに来るとのことだった。
ホームステイには結構当たり外れがあるらしく、場合によってはほとんど夕食を用意してもらえなかったり寝室が異様に寒かったりでお金を払って悲しい目にあう羽目になりかねないー…的な話も聞いていたので内心怯えていたのだが、取り敢えず初日から欺かれたわけではなかったのだと安心した。
70代のオーナーは庭を整理したり家事をこなしたり実にテキパキした方で、彼女の作るご飯はとても美味しかった。


4歳女児のエネルギーは凄まじく、一通りの質問を終え私単体への興味を無くすと、今度は遊び相手として次々ボードゲームや動画鑑賞に付き合わされた。
ちなみに私はNZに来る直前に「歌い納め」と称してカラオケに行っており、日頃アニソンしか聴かない己が唯一歌える洋楽『Let it go』(結局アニソンである)をドヤ顔で歌いながら「これでもう英語は楽勝ですわ〜(笑)」などと精一杯のイキりを見せていたのだが、その数日後に予想外キャラ・孫娘出現からの『アナと雪の女王』鑑賞イベントが発生し、二人でLet it goをハモるという奇跡のフラグ回収が起きた。
いやそんな回収のしかたある?
あんなに的確に「これ進○ゼミでやった問題だ‼︎」となる瞬間が我が人生にあろうとは、進○ゼミ歴長めだった私も予想だにしていなかった。


彼女のお陰で(?)嵐のように初日が過ぎ去り、翌日私が起きたのはなんとド昼間の14時だった。
今まで多数のホームステイの人や学生を受け入れて来たご婦人としても、初日に14時間寝ていた奴は初めてだったようでかなり心配されてしまった。「緊張し過ぎてほとんど寝れない」的な繊細な神経は、どうやら私には無かったらしい。或いはあったのかもしれないが、4歳の孫によりぶっ倒されたのかもしれない。
こうして私のワーキングホリデー初日は、爆睡によって幕を閉じたのであった。